enpaku 早稲田大学演劇博物館

おわりに

演劇は戦争体験を語り得るのか ——戦後 80 年の日本の演劇から——

おわりに

 本展では、戦後80年の日本の演劇において第二次世界大戦の経験がどのように語られ、表象されてきたのかを紐解いた。締めくくりにかえて、「演劇は戦争体験を語り得たのか」という過去形の問いに対する答えを、本展の振り返りとともに考えたい。
 第1章で取り上げた三好十郎はその生涯を通して、自らの過去作品における戦争との向き合い方を何度も省みながら、その思考を『廃墟』や『その人を知らず』といった作品の中で深化させ展開させてきた。
 第2章で取り上げた野田秀樹は、戦争を直接体験した世代ではない。野田は写実的手法に依らず、幻想的な演劇作品として原爆の記憶を描き出した。『パンドラの鐘』で堀尾幸男が手がけた舞台美術の「黄金の鐘」は、能『道成寺』の鐘にも、原子爆弾「ファットマン」にも見立てられ、古代と現代を往還させる機能を果たす。
 第3章で取り上げた唐十郎『少女仮面』に代表される「焼け跡世代」の作品群は、戦争を必ずしも直接的に描写していない。しかし、彼らの幼少期の記憶を含む、断片的な戦争描写は、観客に対し第二次世界大戦の記憶を想起させるものとして有効に機能している。
 第4章で取り上げた高山明/ Port B の『サンシャイン 62』や古川健の『追憶のアリラン』は、加害者としての日本の記憶や歴史に目を向けさせる。原爆や沖縄戦を主題とする作品に比べ、日本の加害の側面に焦点を当てた作品の総数は少ないが、見過ごしてはならないものだ。
 第5章で取り上げた知念正真『人類館』や藤田貴大『cocoon』、安和学治・国吉誠一郎『9人の迷える沖縄人~after’72~』、兼島拓也『ライカムで待っとく』は、いずれも過去と現在とを往還する特異な劇構造をもつ。このことは、80 年前(あるいはそれ以前)から今日まで続く沖縄の「戦争体験」の構造と強く結びついている。
 以上のように、戦後日本の演劇人たちは、演劇によって戦争体験を語り、表象しようと努めてきた。彼らの「戦争体験」の捉え方は決して一様ではない。そもそも「戦争体験」とは、ひとつの事象に還元できるものではないのだ。
 「演劇は戦争体験を語り得るのか」と現在形で問うとき、はたして「戦争体験」とは何を指すのだろうか。「終戦」や「戦後」と聞くと、多くの日本人は第二次世界大戦(太平洋戦争)のことだと考える。しかし、国外へ出れば「終戦」「戦後」という言葉が指し示す戦争はさまざまであり、未だ終結の見えない戦争もある。「紛争(conflict)」にも視野を広げれば、今この瞬間にも無数の人びとがその渦中にいる。
 日本人にとっても、「戦争体験」は決して過去のものとは限らない。何らかのかたちで国外の戦争と接している人びとや、米軍基地周辺で暮らす人びと、被爆二世、三世、四世など、「戦争体験」の只中にある人びとの存在も忘れてはならない。
 この現状に鑑みて、第二次世界大戦について演劇が「語り得たのか」という回顧で本展を終えるわけにはいかないと考え、表題を「語り得るのか」という現在形の問いとした。世界で戦争が続く限り、この問いに終止符を打つことはできない。戦争を描く劇作家たちのみならず、彼らの作品に接する私たちもまた、この問いを心に抱き続けなければならないだろう。

早稲田大学演劇博物館
企画者一同