マイケル・ドブソン
昔々、互いにはるか遠くはなれたところに、二つの島国の君主国が存在した。どちらも大きな大陸の縁に位置していて、その隣接する大陸の、より大きな文化を個性的な、島国固有の形に発展させてきた。それぞれが神々や英雄の伝説的な時代に遡る長い歴史をもち、物語や詩や祭祀を言祝ぎ、その政治機構の古さにプライドを持っていた。断続的な反乱、内戦、そのほかの社会的混乱にもかかわらず、両国ともに今日まで聖なる君主制を維持し、君主は公的な国教の体現者である。同じ地球上に存在し続けながらも、物理的に途方もなく離れているにもかかわらず、両国では宗教的行事や儀式が、今日我々が劇場と呼ぶ、相互に認識可能な形式で、時代とともに発展してきた。両国は、過去500年において、ひょっとしたら世界で最も演劇に魅了された島国であったかもしれない。その島国の一つ―日本と呼ぼう―では、偉大な劇場アーティストの世阿弥元清(c.1363-c.1443)に畏敬の念が払われており、これまで600年の間、その芝居に虜になった観客に向けて上演されている。一方、もうひとつの島国では―簡略な形で英国と呼ぼう―、俳優、詩人、劇場マネージャー、劇作家のウィリアム・シェイクスピア(1564-1616)に敬意が払われている。その敬意たるや、役者ですらも―あらゆる人間の中で最も低い身分に属していた―シェイクスピア作品で特に優れた演技を見せた場合は、君主によって、ナイトやデイムの称号を与えられ、さらには貴族に列せられる可能性もあったほどである。故に、両国がお互いをしっかりと認識した時、それはほんの170年前に過ぎないのだが、それぞれが互いの演劇的伝統や戯曲の正典について、芝居の常連たちや研究者たちが、遅まきながらも、発掘し合い相互に啓発し合うことになったのは、必然だったのである。
シェイクスピアと日本についてのこのおとぎ話形式の説明は、もちろん簡略化したものである。日本の演劇が、例えば、1585年に滋賀の安土からイタリアのヴィチェンツァにあったアンドレア・パラディオのオリンピコ劇場へ外交団体が訪れた際に、ヨーロッパ大陸の演劇の影響を受けていたことに触れていないだけにとどまらない。しかし、英語圏と日本人の学者たちが、それぞれの国の固有の演劇や文学の伝統の中に、魅力的な鏡像のようなものを見いだしたこと、相手の国の芝居や演劇の慣行が、いくつかの点では、見慣れたもののように思われながらも、別な点では、非常に異なっているので、その不一致が、比較の根拠となるカテゴリーを疑問に付したことは、否定できない。不純で包括的なシェイクスピア劇の性質―あらゆる階層の聴衆から成り立ち、韻文と散文、状況次第でペーソスとコメディを縦横無尽に行ったり来たりし、また商人、神々、道化や王たちが一緒くたに登場人物リストに上がるといった―シェイクスピア劇の性質に慣れている西洋の人間からすれば、日本の演劇が能、歌舞伎、狂言、文楽といった別個の形式に分類されていることは、明らかに異質なように見える。それは、シェイクスピアに手を出せるのは、西洋のリアリスト演劇の模倣を目指して、20世紀に歌舞伎から独立して登場した新劇の役者のみであるという、今では捨てさられた見方と同じである。しかし同時に、シェイクスピア劇が元々イギリスで演じられた当時の状況を研究しているものたちには、日本の能舞台が、現在再建されたグローブ座やブラックフライヤーズ座の舞台に不気味なほど似ていると思われるかもしれない。さらにいっそう目を惹くのは、日本では、あるカテゴリーの男性役者が女役を演じられるという伝統が維持されていることが、英語圏の芝居にシェイクスピアのロザリンドやクレオパトラを生み出した演劇の時代の生きた化石のように見えるということである。
私自身、蜷川幸雄の有名な『マクベス』上演で魔女を演じた女形の役者との通訳を介した会話において、彼が「もちろん、もっとシェイクスピアを演じたい、彼ほど女形にとって素晴らしい役を描いた劇作家はいない」と言っていたことに、とても衝撃を受けたことを覚えている。
一方で、日本のシェイクスピア研究は、英語圏のシェイクスピア研究の慣習にどっぷり浸かりつつも、実際上、そこから疎外されてきた。エリザベス朝英語に流暢であることと、英語圏の歴史的な研究のルーティンを学ぶことは、初期の、模倣的な世代の日本の研究者たちにとっては効果的で、当時の研究者の何人かによる国際的なジャーナルへの寄稿は、現在では注意深いパスティーシュのように読めるのだが、より最近の日本における研究では、シェイクスピア劇と日本文化の啓蒙的な差異を受け入れている。それが、日本の観客に向けた翻訳や翻案などにおいて、今も多様化し続ける創造的営みの中で鮮やかに劇化されてきている。英語圏の学界が、シェイクスピアのテクストが現代世界と重なり合っていることを研究することが、その本質そのものを理解するようになる正しい道であると、やっと遅ればせながらも、認めたように、最近の日本の研究は、翻訳とパフォーマンスを認識して、異なる固有の形態を、順応させるためにハイブリッド化するという、日本の文化に存在する必要性からもたらされるシェイクスピアの芝居のハイブリッドな本質への、特別な展望を開拓するようになっている。この点では、日本のシェイクスピア研究は、最初の偉大な日本人シェイクスピア学者である坪内逍遙自身の例に立ち戻ったのである。
坪内はシェイクスピアについて記述し、講義したのみならず、その芝居を翻訳し、上演した。そうする中で、日本語の文法、韻律、シンタックスと英語のそれらとの違いに突き動かされて、日本語による演劇対話の新しいスタイルを生み出したのだった。
過去30年にわたり、日本のシェイクスピア演劇や、映画との一連の出会いによってさまざまな感動、喜び、挑戦と刺激を与えられてきた西洋の演劇人としては、日本のシェイクスピア研究者が日本以外の国や文化に属する研究者に与えうる素晴らしい贈り物の一つは、シェイクスピア解釈と実験の本場として、自分たちの国が達成したことをさらに探求していくことだと思われる。
1999年から2008年の間の招聘公演も含めて、イギリスのシェイクスピア上演を扱う演劇評論家としての私自身の人生のハイライトは、蜷川幸雄演出の上演―特に、彼の『ペリクリーズ』、『タイタス・アンドロニカス』、『ハムレット』、『コリオレイナス』といった―上演を観たことだ。しかし、私が2016年に、ルーマニアのクライオヴァ国際シェイクスピア・フェスティヴァルで、彼の『リチャード二世』を観たとき、そこでは、キャストが高齢役者群(シンクロナイズされた車椅子が織りなすすばらしい宮廷!)と若年役者群(自分の地位をあまりに意識するが故に、聞こえるように話す必要をほとんど感じないという、あのか細く、物憂げで、電動車椅子に乗った国王!)にくっきりと区分されていたのだが、その上演の芸術性についての私の鑑賞は、日本語話者である博士課程の院生、ロージー・フィールディングと議論することで大いに高められたことを私は知っている。彼女は翻訳に用いられた戦略の幾分かを私に教えてくれたのだった。(私は、非英語プロダクションのために提供される英語字幕が、シェイクスピアの言葉をただ再生するのではなく、その芝居の翻訳された脚本を、翻訳者が選んだものと類似したイディオムで、再翻訳してほしいものだと、しばしば思っている。)日本における天皇が神聖な存在か否かについての継続的な議論、日本の若年層に見られる青白さや無気力さへの現代的な不安といった、この尊敬すべき上演(クライオヴァでは我々はこの上演に18 分のスタンディング・オベーションを送ったのだが)についてのロージーによるコンテクストの説明によって私の鑑賞はさらに高められることとなった。こうした蜷川による解釈の諸相が、今も私自身のシェイクスピア劇の理解に影響を与え続けている。
一方、過去数年間における私の研究者人生における大きな喜びは、オンラインのアジアン・シェイクスピア・インターカルチュラル・アーカイブ(http://a-s-i-a-web.org/) の編集委員を務めていることであり、より最近では、私はシンガポール、韓国、中国、そして日本からの上演研究チームの一人として、いくつかのシェイクスピア劇のアジアにおける上演の録画に共同で解説をつける作業に従事していることだ。それらの中には、ク・ナウカ・シアター・カンパニーやりゅーとぴあ能楽堂シェイクスピアシリーズによる『オセロー』上演を含み、これらの鮮やかで痛切なパフォーマンスを掘り下げて観劇するにとどまらず、末松未知子やジェシカ・チバなど、日本人や日本語話者である研究者たちとの対話において、能の慣習で読んだ『オセロー』、またその逆について学んだことは新しい経験であった。実際、主役たちが、死を虚しく先延ばしにしようとするのではなく、解放を達成することを期待して、死後にもう一度、死を再演するという演劇伝統の中で、シェイクスピア悲劇を見るという体験の全体が、ありうべき悲劇についての私の感覚を拡張してくれたのである。英語圏の伝統では、シェイクスピアの悲劇的な登場人物たちは、亡霊に遭遇するかもしれないが、日本の演劇の舞台においては、我々観客が彼らに出会うときには、彼ら自身がすでに亡霊なのであり、このような生と死と演劇的表象の境界に対する異なる視点は、シェイクスピアのテキストを思索や探求のさらなる境界線へと解き放つのである。
つまり、日本のシェイクスピア研究が他国におけるシェイクスピア研究のためにできるもっとも有益で刺激的な貢献の一つは、日本の演劇人たちが当初から行ってきたように、我々がシェイクスピアを異なる視点で理解する手助けをすることと言えるだろう。この試みにおいて、精神を拡張し、カテゴリーを調整する翻訳者の知的労働は、重要であり続ける。昔々、地図上では遠い、文化的にも異質な二つの君主国があった。しかし両国の間にはウィリアム・シェイクスピアの戯曲と蜷川幸雄と松岡和子のコラボレーションにより、互いに照射し合う対話がもたらされたのである。
マイケル・ドブソン
バーミンガム大学シェイクスピア研究所所長。これまでオックスフォード大学、ハーバード大学、シカゴ・イリノイ大学、ロンドン大学バークベック校で教鞭をとる。主な編著に、Shakespeare and Space (Yilin Press, 2019)、Shakespeare and Amateur Performance: A Cultural History (Cambridge University Press, 2011)、Performing Shakespeare’s Tragedies Today: The Actor’s Perspective (Cambridge University Press, 2006) などがある。シェイクスピア生誕地トラスト理事、ロイヤル・シェイクスピア・カンパニー名誉ガバナー。アジアン・シェイクスピア・インターカルチュラル・アーカイブ (http://a-s-i-a-web.org/) の編集委員も担う。
日本語翻訳 石渕理恵子
早稲田大学坪内博士記念演劇博物館助教。2020 年に東京女子大学にて博士号取得(人間文化科学)。専門分野は英国ルネサンス期文学・文化、特にシェイクスピア、女性作家の作品研究。
主論考に「『ユーレイニア』と『ヴォルポーネ』における「話す行為」ー異文化の出会いとジェンダーの観点からー」(『緑の信管と緑の庭園ー岩永弘人先生退職記念論集』所収、2020)、‘The Unmarried Characters in Mary Wroth’s Love’s Victory and Shakespeare’s As You Like It’ (2013)等がある。現在、早稲田大学、中央大学、東京女子大学にて非常勤講師を務める。