オランダ | オランダ絵画黄金期
17世紀オランダ絵画黄金期において最も傑出した画家のひとり。調和のとれた明瞭な色調や簡素かつ静謐でありながらも綿密に計算された均整な空間構成、光の反射やハイライト部分などを点描によって表現するポワンティエ(点綴法)、写実性の高い描写など画家が手がけた作品とその様式は現代でも極めて高い評価を受けている。また作品制作にカメラ・オブスキュラ(暗箱)を用いるなど、当時の光学や透視図法の研究を取り入れたと推測されるほか、非常に高価であったラピスラズリを原料とするウルトラマリンブルーを多用した。真作とされる総作品数は33~36点と寡作の画家として知られており、風景画や宗教画、神話画も数点確認されているが、その大半がデルフトの街に住む中流階級層の室内での生活を描いた風俗画である。生涯の詳細は不明であるが1632年デルフトに生まれ、1653年カタリーナ・ボルネスと結婚した後、聖ルカ組合に加入。生涯で二度、聖ルカ組合の理事に選出されており、画家としての評価は当時から高かったと考えられる。フェルメール作品は贋作も多く、中でも1945年に判明したハンス・ファン・メーヘレンによる『エマオのキリスト』贋作事件は西洋美術史上、最も有名な贋作事件のひとつとして広く知られている。また作品の希少性から盗難も多く、1990年に発生した被害総額2億~3億ドル(当時価値)ともされる美術品盗難事件≪イザベラ・スチュワート・ガードナー美術館(ボストン)盗難事件≫で盗まれた画家の代表作『合奏』は現在も未発見である。1675年にデルフトで没。享年43。