enpaku 早稲田大学演劇博物館

イベントレポート

特別展「Words, words, words.――松岡和子とシェイクスピア劇翻訳」関連イベント

「ページとステージ行ったり来たり――シェイクスピア劇全37作品の翻訳を終えて」レポート

  2022年10月17日(月)、2022年度特別展「Words, words, words.–––– 松岡和子とシェイクスピア劇翻訳」関連イベントとして、松岡和子先生の講演会を小野記念講堂で開催しました。本講演会は早稲田大学文化芸術週間2022の関連イベントでもあります。講師の松岡和子先生は、2020年12月、シェイクスピア劇37作品の翻訳を達成されました。日本人3人目、女性としては初の偉業です。松岡先生の温かくてチャーミングなお人柄と、刺激的なお話に魅了されたあっという間の2時間でした。


松岡和子(翻訳家・演劇評論家)

【松岡和子プロフィール】
翻訳家・演劇評論家。1942年、旧満州新京(長春)生まれ。東京女子大学英米文学科卒業。東京大学大学院修士課程修了。東京医科歯科大学名誉教授。1993年より28年をかけてシェイクスピア戯曲全37本を翻訳、ちくま文庫『シェイクスピア全集』全33巻が完結した。この業績により、2021年、第58回日本翻訳文化賞、第69回菊池寛賞、第75回毎日出版文化賞〈企画部門〉、2021年度朝日賞、第14回小田島雄志・翻訳戯曲賞特別賞を受賞。2022年、第19回坪内逍遙大賞を受賞。主著に『すべての季節のシェイクスピア』(ちくま文庫)、『深読みシェイクスピア』(新潮文庫)、『「もの」で読む入門シェイクスピア』(ちくま文庫)がある。

  ご講演のテーマは、“From page to stage, and back to page again”。“Page”は書斎で睨めっこしながら気づいたこと、“stage”は稽古場や舞台稽古で気づくこと、“and back to page again”ではそれらの気づきが翻訳に跳ね返ってきたこと、をそれぞれ示しています。28年にも及ぶシェイクスピア劇翻訳家としてのキャリアで経験した、また現在も経験している、さまざまな「ページとステージ行ったり来たり」についてお話いただきました。

  松岡先生が取り上げた作品は『ヘンリー八世』、『ジュリアス・シーザー』、『マクベス』、『ハムレット』の4作品。まず、最近上演された彩の国シェイクスピア・シリーズ『ヘンリー八世』(吉田鋼太郎演出、阿部寛主演)と関連して、シェイクスピアのメタ表現についてお話いただきました。シェイクスピアは、「今、目の前で上演されているお芝居そのものへの言及」(メタシアターという考え方)をときどき使うそうです。これはあくまでお芝居で現実ではないとして、一段上のメタレベルからお芝居を見ることで客観性が生まれます。例えば2幕4場の王の台詞「話は長くなるが、気を散らさずに聞いてもらいたい」(I will be bold with time and your attention.)は、その場に居並ぶ貴族に向かってだけでなく、観客に向かって言っていることに、書斎で訳した時には気づかず、松岡先生ご自身が舞台稽古の客席に座ってから気づいたそうです。


  400年以上前に英語で書かれたシェイクスピア劇の翻訳について考えるとき、いつも松岡先生の頭にフワッと浮かんでくるのは、『ジュリアス・シーザー』の暗殺直後のキャシアスとブルータスの台詞だったそうです。

Cassius : Stoop then and wash. How many ages hence
Shall this our lofty scene be acted over,
In states unborn, and accents yet unknown!

よし、跪け、手をひたせ。我らのこの崇高な場面が、
この先幾世代にわたり繰り返し演じられることか、
いまだ生まれぬ国において、いまだ知られざる言語によって!

Brutus: How many times shall Caesar bleeds in sport,
That now on Pompey’s basis lies along,
No worthier than the dust!

幾度(いくたび)シーザーは芝居の中で血を流すことか、
いまこうしてポンペイ像の台座に身を横たえ
塵(ちり)と化したシーザーが!(Julius Caesar, Act III Scene 1)

 シェイクスピアがこの芝居を書いたのは『ハムレット』(c.1600)の直前というのが定説ですが、当時からどれだけの時代が、松岡先生ご自身が翻訳している時まで経ったか、当時シェイクスピアにとって日本は“states unborn”、日本語も“accents yet unknown”だったろうと思うと、この台詞がシェイクスピアの予言のように読めたと言います。ところが、バーミンガム大学シェイクスピア研究所のJessica Chibaさんと話をしていたとき、その思いを告げると、Chibaさんに「この台詞はシェイクスピア自身のことを言っているかもしれませんね」と言われ、衝撃を受けたそうです。確かに劇中の人物はラテン語で話しているのが前提であり、ブルータスやキャシアスが、自分達はラテン語で話しているが、幾世代か経ったら自分達の知らない国・言語(イングランド・英語)でこの劇が上演されるかも、と語っているとも読めるからです。現に当時のロンドンでラテン語を話している人物の劇が英語で上演されている、という二重性について気づき、シェイクスピアがどれだけ遠くまで振り返り、どれだけ遠くまで先を見越していたかが感じられ、知的興奮を覚えた大きな発見だったそうです。
   10月13日に岐阜県美濃加茂市で開催された第19回坪内逍遥大賞でのイベントについてでは、坪内逍遙先生との深いつながりについても語っていただきました。『マクベス』4幕3場のダンカン王の息子マルカムが、打倒マクベスを決意する直前の台詞“… Receive what cheer you may. / The night is long that never finds the day.”の翻訳をめぐるエピソードです。従来この台詞は、“Any long night will have the day.”と意味を逆転して訳されてきましたが、納得できなかった松岡先生は周囲の友人やネイティブ、研究者に聞いて回ったそうです。その中で大きな支えになったのが逍遙訳「できる限り心をお慰めなさい。永久に明けないと思へばこそ夜が長いのである。」だったと言います。逍遙訳の支えもあり、納得がいかないまま先行訳を踏襲するのではなく、松岡先生は自分が信じる訳、「明けない夜は長いからな」、4刷からは「朝が来なければ夜は永遠に続くからな。」としたそうです。前述のChibaさんとの対話を通して、“find”という「見つける」「見出す」という単語をシェイクスピアが使った重要性にも気づき、Shakespeare’s Proverbial Languageにある「夜のあとには朝が来る」も参照しながら、「決して朝を見つけない夜は長い、朝を見つけなければ夜は長い」、という現時点での結論に辿り着いたそうです。

  松岡先生とつながりが深い蜷川幸雄さんとのエピソードは特に心に響くものでした。1995年、銀座セゾン劇場で上演された真田広之主演『ハムレット』でカット台本を作成する際のエピソードです。「私が『ハムレット』を訳したのは蜷川さんのため」と語る松岡先生。ワープロで原稿を書いていた時代、訳し終わった際に蜷川さんに直に渡したいと思い、イギリスで『夏の夜の夢』のツアー中に手渡したのだそうです。帰国後、蜷川さんの事務所でカット作業を行う直前、「今日は止めよう、何ヶ月もかけて苦労してやったのに最初の仕事がカットって嫌でしょ」と蜷川さんは松岡先生に言います。その時から今まで、このように心ある言葉をかけてくれたのは、この時の蜷川さんだけだったそうです。蜷川さんのお人柄が伝わる胸が熱くなるエピソードでした。
  最後に本講演会のテーマ “ang back to page again”に関する行ったり来たりの例を挙げていただきました。菊池風磨主演『ハムレット』(2019)のために演出の森新太郎さんと一緒に上演台本を作成していた時のエピソードです。5幕でハムレットがレアティーズとの決闘を受けるか否かオズリックが確認に来た後すぐに、別の貴族もハムレットに同じことを聞きに来ます。このシーンはカットされることが多く、松岡先生と森さんもカットしそうになったところ、森さんが言っていた「ホレイショーって面白い、常にハムレットを見ている」という言葉を思い出したそうです。クローディアスがここで一番ハムレットにして欲しくないのは、剣の試合はしないという翻意。そうならないようダメ押しで貴族が登場すると気づき、「この台詞はカットしてはダメ」となり、貴族の退場後のホレイショーの台詞も変更します。それまでホレイショーの台詞は「この試合、殿下の負けではありませんか」と訳していたところ、原文(“You will lose, my lord”)の通り「殿下、この試合負けますよ」と26刷から変更したそうです。シェイクスピアには無駄な台詞がない、という好例の一つです。


質疑応答時の写真

  その他にも、堤真一主演『マクベス』(長塚圭史演出)での「魔女」(witch)か「不気味な女預言者ども」(three weird sisters)の訳をめぐる問いや、11月18日(金)に開催された展示関連イベント第2弾「今を生きるシェイクスピア––第7世代実験室 in Enpaku」についてもお話がありました。会場は終始温かい雰囲気に満ちており、90分のご講演後は、司会も交えて活発な質疑応答が行われました。
 松岡先生は、シェイクスピア劇全体が「この人間はこうだ」と断定しない、問いのない答えで終わっていると語ります。松岡先生が語る通り、演出に正解はなく、それゆえ世界中のさまざまな言語でさまざまな上演がなされるのがシェイクスピア劇なのです。松岡先生のお話を通して、シェイクスピア劇が持つ魅力の一つを改めて考えるきっかけとなりました。知的好奇心に突き動かされながら、松岡先生は今もシェイクスピアの言葉と向き合い続けています。今後も松岡先生の翻訳で上演され続けるシェイクスピア劇と、松岡先生によるチャーミングなシェイクスピアの「広報活動」がとても楽しみです。


右から岡室美奈子(早稲田大学演劇博物館館長)、松岡和子(翻訳家・演劇評論家)、石渕理恵子(早稲田大学演劇博物館助教)

【執筆者】
石渕理恵子(いしぶち・りえこ)

早稲田大学坪内博士記念演劇博物館助教。2020 年に東京女子大学にて博士号取得(人間文化科学)。専門分野は英国ルネサンス期文学・文化、特にシェイクスピア、女性作家の作品研究。主論考に「『ユーレイニア』と『ヴォルポーネ』における「話す行為」ー異文化の出会いとジェンダーの観点からー」(『緑の信管と緑の庭園ー岩永弘人先生退職記念論集』所収、2020)、‘The Unmarried Characters in Mary Wroth’s Love’s Victory and Shakespeare’s As You Like It’ (2013)等がある。現在、早稲田大学、中央大学、東京女子大学にて非常勤講師を務める。