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早稲田大学演劇博物館 イベントレポート

2024年度シェイクスピア祭演劇講座「逍遙のシェイクスピア」レポート

 2024年5月17日(金)、冬木ひろみ先生(早稲田大学文学学術院教授)を講師にお迎えし、シェイクスピア祭演劇講座「逍遙のシェイクスピア」を開催しました。今年のテーマは、当館の創設者でありシェイクスピアの全37作品を日本語に訳した坪内逍遙のシェイクスピア翻訳です。逍遙の翻訳の変遷と、そこから見えてくる逍遙のシェイクスピア観と演劇観、ひいては人間と社会に対する感性について、『ジュリアス・シーザー』『マクベス』『十二夜』『ヴェニスの商人』『ハムレット』の逍遙訳と原文を参照しながら詳しくお話しいただきました。

2024年度シェイクスピア祭演劇講座「逍遙のシェイクスピア」レポート

 冬木先生がはじめに取り上げられたのは、『ジュリアス・シーザー』の翻訳である『該撒奇談しいざるきだん 自由太刀餘波鋭鋒じゆうのたちなごりのきれあじ』(1884年)。シーザー暗殺の場面の訳文に着目し、上演を考慮した長い説明文が台詞と混じっている点や、歌舞伎・浄瑠璃風の「七五調」文体が特徴的であること、そして自由民権運動の時代に国へのクーデターを主題とする作品を扱った同時代性にも言及されました。冬木先生はさらに、アントニーの勝利を讃える最終場面において、逍遙が原文にはない台詞を入れていることに着眼します。逍遙訳では、逆徒ブルータスの「ほまれ」について触れ、シーザーを殺めた剣を「自由の太刀」と呼ぶことで、ブルータスの誇りと信念を讃える視点が導入されているのです。ここにおいて逍遙は、ブルータスがシェイクスピア悲劇の主人公の類型——位が高く高潔な人物が周囲に翻弄され、失脚したり死を迎えたりする——に当てはまることを、初翻訳作品にしてすでに理解していたのではないかという目の覚めるような洞察が展開されました。
 逍遙は自身のシェイクスピア翻訳のスタイルの変遷について、以下のとおり自省も込めつつ五つの時期に分類しています。

第一期:「浄瑠璃まがいの七五調」翻訳の時期 例:『ジュリアス・シーザー』
第二期:註釈を重視した結果、原文の良さが損なわれた時期 例:早稲田文学での『マクベス』翻訳
第三期:翻案に近い訳から実質的な翻訳へと発展した転換期(人物名を当て字の和名ではなくカタカナで表記、独白をすべて訳出) 例:初の『ハムレット』訳の最初の方
第四期:「文語口語錯交時代」(近世の喋り言葉と古めかしい言葉を併用) 例:『ハムレット』『オセロー』ほか
第五期:「現代語本位時代」(同時代の自然な言葉づかいによる翻訳) 例:『ヴェニスの商人』『真夏の夜の夢』ほか

 訳の変遷からも、また第四期で「狂言臭い、歌舞伎臭い」と批判されたことを気にする記述からも、逍遙が人びとの反応や自省に基づいて文体をアップデートする柔軟性をもつ人物だったことが窺えます。冬木先生はそうした逍遙の姿勢を、「自分の学風はこうだと凝り固まらず、謙虚に高みを目指すことで多岐にわたる活動ができた」と評価されました。

2024年度シェイクスピア祭演劇講座「逍遙のシェイクスピア」レポート
冬木ひろみ先生(早稲田大学文学学術院教授)

 逍遙訳の変遷の具体例として、冬木先生は『マクベス』冒頭場面の1891年版の訳と1916年版の訳を取り上げ、‘Fair is foul, foul is fair’という魔女の台詞に着目されます。1891年版ではやや堅苦しい翻訳が、1916年版では「清潔きれい不潔きたない不潔きたない清潔きれい」という端的な表現になります。これについて冬木先生は、逍遙はこの台詞が『マクベス』全体の矛盾だらけな人間の世界を象徴する重要な言葉であることを理解したのではないかという鋭い考察を加えられました。さらに、逍遙訳の長所は七五調によって「5のアクセント」が随所に表れる点であり、じつはシェイクスピアの原文も心臓の鼓動に準えるように「5のアクセント」で書かれているという興味深い指摘をされました。
 続いて冬木先生は、逍遙訳の語調の良さが悲劇よりも喜劇に合っていた例として、『十二夜』の偽の手紙による揶揄いのシーンの翻訳(1921年)と、『ヴェニスの商人』でアントーニオが自らの憂鬱を嘆く台詞の翻訳(1916年)を紹介されました。後者の逍遙訳はより現代の訳とも比較され、台詞に表れる人間味や明快さという点では約60年後の翻訳にも引けを取らないことがわかりました。
 最後に取り上げられた作品は『ハムレット』。冬木先生はまず、夏目漱石が1907年上演の『ハムレット』の翌年に執筆した小説『三四郎』と、1911年上演の『ハムレット』に対する朝日新聞での劇評の中で、逍遙の翻訳を手ひどく批判した一節を紹介されました。「シェイクスピアを日本語に訳すべきではない」とする漱石の極端な主張には、シェイクスピア劇を上演されるものではなく研究されるべき文学として捉えるアカデミズムが色濃く反映されているといいます。これは、幼い頃から歌舞伎に親しみ、演劇の何たるかを肌身で知っていた逍遙とは真逆の立場です。
 その上で冬木先生は、『ハムレット』の有名な‘To be, or not to be’の台詞を逍遙が1911年には「ながらふる?ながらへぬ?」と訳し、1933年には「世に在る、世に在らぬ」と訳したことに注目します。逍遙はこの台詞が漠然とした存在論的な自問であり、このbe動詞にはハムレットの人物像の一端を伝える重要な役割があることを鋭く見抜いたのではないかという考察には、長年シェイクスピア研究に取り組んでこられた冬木先生ならではの説得力がありました。また、第5幕の‘The rest is silence’を「おゝ空寂くうじゃく!」という仏教的な意味合いをもつ言葉で訳したところに、天国へ行く安らぎを示唆する巧妙さがあると指摘されました。

2024年度シェイクスピア祭演劇講座「逍遙のシェイクスピア」レポート

 最後に冬木先生は、逍遙と森鴎外との間で繰り広げられた「没理想論争」について触れられました。作家たるもの唯一無二の「理想」を掲げ探究すべきとする鴎外の理念は、逍遙がシェイクスピア劇に見出していた度量の広さ(逍遙の言葉では「自由自在」さ)——あらゆる読者・観客の理想や価値観を内包しうる——とはそぐわないものでした。シェイクスピアも生きていた当時は文豪などではなく、数多いる劇作家のひとりとして大衆に向けて戯曲を書いていたといいます。ハムレットのような人物像の多面性にしても、そのような可変性が人間にはあるのだという深い人間理解のもとでシェイクスピアは書いており、そのことを最もよく理解しえたのが逍遙なのではないかと冬木先生は語られました。逍遙とシェイクスピアの人間や社会に対するまなざしにはどこか相通ずるものがあり、その二人の響き合う地点を冬木先生は『ハムレット』の次の言葉によって表現されました。

「芝居の目的は自然(その時代)に向かって鏡を掲げることだ」

 ひとつの理念にとらわれないシェイクスピアの演劇と、そのシェイクスピア劇の読みを理念にとらわれず柔軟に行った逍遙。未来のシェイクスピア研究と上演のために、私たちもまた逍遙のシェイクスピアを読み直していくべきなのではないか——そのような展望で冬木先生は講演を締めくくられました。
 質疑応答や講演終了後のアンケートでは、聴衆の皆さんから熱の込もったコメントが多数寄せられました。シェイクスピアに対する逍遙の深い理解に基づく読みと、その「逍遙のシェイクスピア」に対する冬木先生の深い理解に基づく読み。過去から現在、未来へと紡がれるシェイクスピア研究の起点に坪内逍遙がいることに思いを馳せる、充実した時間となりました。

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左から 近藤つぐみ助手(早稲田大学演劇博物館)、冬木ひろみ先生(早稲田大学文学学術院教授)

【執筆者】
近藤つぐみ (こんどう・つぐみ)

早稲田大学演劇博物館助手。早稲田大学大学院文学研究科演劇映像学コース博士後期課程在学。専門は戦後ヨーロッパのバレエ・ダンス。主論考は‘The Exclusion and Representation of Ailing Bodies in Dance History’ (『日仏シンポジウム論文集 病とその表象』、2024年)、「ニジンスカの『結婚』とバウシュの『青ひげ』における不幸な結婚の表象」(『早稲田大学大学院文学研究科紀要 第68輯、2023年)。企業メセナ協議会メセナアソシエイト(外部研究員)、EPAD事務局権利処理チームなどを経て現職。