2025 年5 月23 日(金)、中野春夫先生(学習院大学文学部英語英米文化学科教授)を講
師にお迎えし、シェイクスピア祭演劇講座「シェイクスピア劇の名場面解説―同時代の上演
法に基づいて」を開催した。
講師 中野 春夫先生
シェイクスピア劇のテクストでは、「芝居を観る」ではなく「芝居を聞く(hear)」という
表現が用いられるという。シェイクスピアの時代には、舞台装置や照明の技術がまだ発展し
ていなかった。そのため、場面の再現は観客の側に、つまり観客が台詞を「聞き」、頭の中
でその光景を「思い浮かべる」力に大いに委ねられていたとみることができる。これが、中
野先生のお話のスタート地点である。今日、高度な視覚効果に支えられたシェイクスピア劇
に親しんでいる私たちは、案外この事実に思い至る機会が少ないのではないだろうか。
戯曲の内容に分け入る前に、中野先生はシェイクスピア時代のグローブ座の観客席の種
別や演劇興行のあり方を、近年の劇場史研究の成果もふまえながら非常にわかりやすく解
説された。それにより、私たち聴衆もまたシェイクスピア時代の舞台と客席の状況を頭に思
い浮かべながら、続く講演内容を「聞く」こととなった。
シェイクスピアの生きた時代に、観客はどのようにシェイクスピア劇を「聞いた」のか。
近代的な舞台装置がなく、公演は平日の昼に行われていた時代である。ということは、夜や
嵐の場面、そして森の中の場面などは、すべて台詞によって示され、観客は台詞を手がかり
に、目の前の天候とは関係なしに、その光景を頭の中に描けていたのだと中野先生は語る。
そして何より、当時の劇団はギルド組織であり、魔女も妖精も少女もみな男性によって演じ
られた。中野先生の「観客は自分好みのジュリエットを想像することができた」という示唆
や、シェイクスピア喜劇によく登場する異性装が当時は二重の異性装になっていたとのご
指摘は興味深い。また、『ハムレット』の冒頭における二人の衛兵の「誰だ、そこにいるの
は?」から始まる緊迫した出会いの会話が、当時の観客に「目の前に誰がいるのかわからな
い」真っ暗闇という劇世界の状況を自然に、かつ的確に伝えているというご指摘も、目が開
かれるものだった。
講演の後半では、当時イギリスで浸透していた天文学的モチーフや「メランコリー体液
(黒胆汁)」を示唆する台詞に着目した鮮やかな戯曲読解が展開された。『ロミオとジュリエ
ット』の有名なバルコニー・シーンでは、当時の一般常識に反して、女性であるジュリエッ
トが男性であるロミオに聞こえるように求婚の台詞を発する。ここで「惑星(stars)」とい
う単語が出てくることは、当時形成されていた、「頭上にある惑星=男性的世界と、その下
に母体として存在し、惑星の影響を受ける地球=女性的世界」というイメージの反転を観客
に印象づけたはずだと中野先生は解説する。また、シェイクスピア時代には、「メランコリ
ー体液」が脳を駆け巡って狂気を引き起こすと信じられていたという。『マクベス』の有名
な夢遊病のシーンの台詞が、マクベスの狂気に陥っていくプロセスを観客が頭の中で追え
るように書かれていることを、中野先生は説得力をもって語られた。
講演後の質疑応答およびアンケートでは、熱の籠もった感想や質問が多数寄せられた。本
講演の聴衆もシェイクスピア時代の観客のように、中野先生の軽妙で親しみやすい語りに
よって当時の舞台へと誘われ、シェイクスピア劇の名場面を頭の中に鮮やかに思い描いて
いたことがうかがえた。
左から 館長、中野 春夫先生(学習院大学文学部英語英米文化学科教授)、近藤つぐみ助手(早稲田大学演劇博物館)
▼ イベント詳細
シェイクスピア劇の名場面解説―同時代の上演法に基づいて
近藤つぐみ (こんどう・つぐみ)
早稲田大学演劇博物館助手。早稲田大学大学院文学研究科演劇映像学コース博士後期課程在学。専門は戦後ヨーロッパのバレエ・ダンス。主論考は‘The Exclusion and Representation of Ailing Bodies in Dance History’ (『日仏シンポジウム論文集 病とその表象』、2024年)、「ニジンスカの『結婚』とバウシュの『青ひげ』における不幸な結婚の表象」(『早稲田大学大学院文学研究科紀要 第68輯、2023年)。企業メセナ協議会メセナアソシエイト(外部研究員)、EPAD事務局権利処理チームなどを経て現職。