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イベントレポート

第89回逍遙祭

「坪内逍遙と『小説の主脳』―演劇博物館で小説を書くこと―」
イベントレポート

 2026年9月30日に開催された第89回逍遙祭「坪内逍遙と『小説の主脳』―演劇博物館で小説を書くこと―」では、蝉谷めぐ実さんが小説家になるまでの歩みを振り返る講演に続き、恩師である児玉竜一館長との対談が行われた。

第89回逍遙祭「坪内逍遙と『小説の主脳』―演劇博物館で小説を書くこと―」
第89回逍遙祭「坪内逍遙と『小説の主脳』―演劇博物館で小説を書くこと―」

 大阪で生まれ育った蝉谷さんは、高校で古典を教えていた祖母に連れられ、幼い頃から歌舞伎を観ていた。客席で周囲をまねて大向うをかけ、祖母に慌てて連れ出されたこともあったという。

 早稲田大学文学部演劇映像コースに在籍していた大学3年生の頃、授業で三島由紀夫の作品を読み、その「美しく、きらびやかで、たおやかな文体」に触れたことをきっかけに、小説家を志す。当初は恋愛小説などの現代小説を書き、新人賞への応募を重ねていたが、なかなか思うような結果には結びつかなかった。

 そこで、「好きなものを、好きなように書こう」と考え、目を向けたのが江戸歌舞伎。児玉館長の授業で、芸のために日々の暮らしまで律した歌舞伎役者たちの生活や芸談に触れ、「そこまで芸に命を懸ける人間がいたのか」と強く心を動かされたという。そうして書き上げたのが、江戸の芝居小屋を舞台とした『化け者心中』である。同作で第11回小説 野性時代 新人賞を受賞し、2020年に作家としてデビューした。

自身の歩みを振り返る蝉谷めぐ実さん
自身の歩みを振り返る蝉谷めぐ実さん

 当時、蝉谷さんは早稲田大学の嘱託職員として勤務していた。仕事を終えると図書館へ向かい、閉館まで資料を調べながら執筆する毎日を送っていたが、作家を目指していることは周囲に明かしていなかった。

 受賞の連絡が届いたのは、職場で退職する同僚を送り出す会が開かれていた最中だった。「受賞しました」と電話で告げられ、涙を浮かべながら戻ると、周囲には送別のスピーチを聞いて泣いていると思われたという。そこで初めて小説を書いていたことを明かし、その後は新刊が出るたびに本を購入してもらうなど、職場の人々から温かい応援を受けた。

作品を紹介しながら行われた講演
作品を紹介しながら行われた講演

 後半の対談では、児玉館長が『化け者心中』を初めて読んだ際、江戸の芝居小屋を生き生きと立ち上げる文章の「口調」に驚いたと振り返った。作品では、登場人物に応じて比喩やオノマトペを使い分け、言葉の感触から人物や時代を描き出している。蝉谷さんは、現代と江戸時代とでは、土地や空気、生活環境によって音の聞こえ方も異なったはずだと考え、当時の資料を調べながら表現を練っているという。

 児玉館長による監修の考え方も話題となった。『化け者心中』の原稿を返す際に添えたのが、「大きな嘘は直さず、小さな間違いだけ直す」という趣旨の言葉だった。物語を成立させる架空の出来事や演目は作家の想像力として尊重する一方、用語や風俗の細かな誤りは、読者を物語の外へ引き戻してしまう。児玉館長は「学問が人の楽しみを邪魔してはいけない」と述べ、考証によって創作を縛るのではなく、想像力を支えることの大切さを語った。

児玉竜一館長と蝉谷めぐ実さんによる対談
児玉竜一館長と蝉谷めぐ実さんによる対談

 蝉谷さんが大学院で歌舞伎を学び直すことを考え、児玉館長に相談したことも明かされた。児玉館長は、正確さを求めて対象を「詰めていく」研究に対し、創作は想像力を「広げていく」営みでもあると説明した。必要な知識は独学で身につけ、分からないことは専門家に尋ねればよい。その助言は、調査を重ねながらも、物語を自由に広げていく蝉谷さんの姿勢につながっている。

 話題は、2026年に刊行され、直木賞候補となり、第39回山本周五郎賞を受賞した『見えるか保己一』へと移った。歌舞伎以外を題材とした初の長編であり、実在した国学者・塙保己一を描いた歴史小説である。蝉谷さんは、視覚に障害のある人の文章やインタビューを調べ、研究者にも取材した。そこで、自分があらかじめ抱いていたイメージと、実際の生き方や行動力との違いに気づき、「前提としてイメージを持つことの罪」を感じたという。

 児玉館長が同作で特に印象に残ったのは、目の見えない少年の類まれな才能に、周囲の大人たちが気づいていく場面だった。題材が歌舞伎から塙保己一へと変わっても、人間の内面を描く蝉谷さんの姿勢は変わらない。その書きぶりに、「題材が違っても、いつもの蝉谷さんだ」と感じたと語った。

 イベントの題名にある「小説の主脳」は、坪内逍遙が『小説神髄』で説いた「小説の主脳は人情なり、世態風俗これに次ぐ」という言葉に由来する。会場から、歴史・時代小説だからこそ描けるものを問われると、蝉谷さんは、現代よりも欲望や喜び、悲しみがむき出しになり、生と死も生活の近くにあると答えた。

「人のもっと真ん中の部分というか、腹の中を書いているときが一番楽しい」

 人間の内側にある欲や喜び、悲しみを描くこと。それは、逍遙が小説の中心に据えた「人情」と重なり合う。

 最後に児玉館長は、『小説神髄』を「人間は情欲の動物なれば、いかなる賢人善人なりとも、いまだ情欲を持たぬ者は稀なり」と紹介。そして蝉谷作品のなかに渦巻く人間の情欲に触れ、「その小説の手腕を皆様に味わっていただきたい」と来場者に呼びかけ、対談を締めくくった。

 題材や時代が変わっても、人間の欲や感情、そうせざるを得ない姿を描き続ける蝉谷さん。その創作の根幹が、逍遙の「小説の主脳は人情なり」という言葉を通して浮かび上がるイベントとなった。

イベント終了後の記念撮影
イベント終了後の記念撮影


▼ イベント詳細
第89回逍遙祭「坪内逍遙と「小説の主脳」ー 演劇博物館で小説を書くこと ー」

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