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企画・特別展

早稲田大学演劇博物館 企画展 現代演劇シリーズ 第29弾

終わりなき旅 ― 劇団黒テント39年の足跡

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会期:《Part1》 2007年3月1日(木)- 8月5日(日) 《Part2》 2007年6月1日(金)- 8月5日(日)
会場:《Part1》 演劇博物館3階 「現代」コーナー 《Part2》 演劇博物館 企画展示室 Ⅱ
入館無料

協力:劇団黒テント

企画展「現代演劇シリーズ」では、第29弾として、劇団「黒テント」の展示を開催いたします。劇団黒テントは、1968年結成の「演劇センター68」を母体とし、その後「68/71黒色テント」を経て、90年に「劇団黒テント」となり、現在に至っています。2005年には、神楽坂岩戸町にシアター・イワトを開設し、新たな活動を展開しています。今回の展示では、黒テント結成から現在に至るまでの40年近くに及ぶ活動の軌跡を、ポスター、舞台写真、映像資料などを中心に紹介致します。 劇団黒テントの「終わりなき旅」を、どうぞお楽しみください。


 
次の一歩のために ―黒テント展開催にあたって 
佐藤 信(劇団黒テント演出部)

私たち「劇団黒テント」はこれまで何度か集団の名称を変えてきた。そもそもの始まりは「演劇センター68」という、活動をはじめたばかりの三つの小劇団(アンダーグラウンド・シアター自由劇場、六月劇場、発見の会)がつくった連合組織だった。その後、「演劇センター68/71」、「68/71黒色テント」と、組織や活動の変化とともに呼び名を変えて現在にいたっている。
「演劇センター68」は、三つの劇団が既存の組織に頼らずに全国公演をおこなうネットワークづくりを目的に、1968年に結成された。以来、今年で結成39年目。既存の劇団の中では、まあ、古手の方に入るだろう。三つの劇団から集まった創立メンバーも、まだ七人が、白髪や禿げ頭を振り立ててわいわいと騒がしく残っている。
劇団活動の前半20年間は、名前通り、羽根をひろげた大鴉のような真っ黒なテントを担いでの旅公演が中心だった。春と秋との年二回、テントや寝袋や炊事道具や、その他一切合切を積み込んだトラックとマイクロバスに分乗して、一カ月内外の「旅」に出る。おとずれた都市、町、村は、20年間で120ヶ所をこえた。
新、旧、ふたつのテントを使いつぶし、テント活動を休止したのが90年、名称を「劇団黒テント」とあらためた。実際の旅公演の機会はめっきり少なくなったが、それでも集団の基本的な体質のどこかに、テントで培われた「旅」が一貫して染みついているような気がする。80年代から積極的に展開してきた、アジアを中心とした現代演劇との交流も、思えば、この「旅」体質がはぐくみ、継続をささえてきたのではないか。当初は外部からの支援など望むべくもなく、すべて自前でまかなわなければならなかった海外との交流の、もっとも基本的な動機のひとつに、集団の「旅」好きがあったのはおそらく間違いない。アジアをこえてヨーロッパまで、こちらの「旅」も四半世紀でずいぶん足をのばした。
「旅」には常にあたらしい出会いとハプニングが待ち受けている。持てるものに必要以上に拘泥しない身軽さと、空腹を苦にしない楽天性とが「旅」する者の身上だ。一昨年、東京・神楽坂に得たささやかな根拠地から、劇団の若い世代があたらしい「旅」を模索しはじめたいま、39年の「旅」を振り返る今回の展示は、「回顧」というよりは、劇団の次の一歩のための、ささやかな「訣別」の様式なのだと思う。
「訣別」に感傷はない。その時々の足跡と、お客さまたちと共有した「記憶」をながめながら、「楽しかったよ」のひと言が伝えられれば、あたらしい「旅立ち」にはそれで充分だろう。もちろん、ぼくをふくめて劇団の白髪や禿げ頭たちも、「冷水」を下げて仲間に加わり、一緒に「旅」をつづけるつもりだ。

 


 
劇団黒テントプロフィール
1968年に「自由劇場」、「六月劇場」、「発見の会」の三劇団の連合組織である「演劇センター68」として発足する。70年には、移動式テントによる全国移動公演を開始。72年に組織を一つにして名称を「68/71黒色テント」と改める。
90年に移動公演を休止し、名称を劇団黒テントと改称し現在に至る。
「小劇場運動」の創成期より現代演劇の新たな可能性を模索してきたグループとして、演劇シーンに新たな風を吹き込むための活動を展開中である。

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