「妹背山婦女庭訓」・「奥州安達原」・「本朝廿四孝」・「太平記忠臣講釈」・「関取千両幟」・ 「傾城阿波の鳴門」・「近江源氏先陣館」・「鎌倉三代記」・「新版歌祭文」・「伊賀越道中双六」。
ここに列記した作品は、義太夫節人形浄瑠璃文楽(以下、人形浄瑠璃と略す)や歌舞伎の舞台でお馴染みの演目ばかりであり、人形浄瑠璃作者・近松半二が手がけた戯曲のほんの一部である。舞台がお好きな方ならば、演目名をみてそれぞれのご記憶にある名演・名舞台が想起されるかもしれない。
近松半二は、処女作の「役行者大峰桜」(寛延四[一七五一]年初演)から絶筆の「伊賀越道中双六」(天明三[一七八三]年初演)までに、六十余りの人形浄瑠璃作品に署名を残している。また生前から名作者の誉れ高く、没後に編まれた随想『独ひとり判さばき断』では、その自由自在な筆の境地をして「嗚あ呼ゝ作者の道至れる哉」と賞された。昨今では第一六一回直木賞受賞作の、大島真寿美著『渦 妹背山婦女庭訓 魂結び』(二〇一九年、文藝春秋)にもその生涯が描かれ、注目を集めている。
特筆すべきは、現行演目の多さである。半二は時代物を得意とし、雄大な構想と重厚かつ変化に富んだ舞台を次々に生み出していった。 そしてその多くが、 人形浄瑠璃や歌舞伎の現行演目として伝承された。 日本の古典芸能の重要な財産となっているのである。さらには、江戸時代における著作の累計上演回数が最も多い立作者でもある。江戸時代から現代まで愛され続けている作品を、数多く生み出したのだ。半二は、人形浄瑠璃の古典化にも大いに寄与した偉大なる劇作家だと言えよう。
業績の重要さにも関わらず、遺憾ながらこれまで近松半二の名を冠する展示は開催されていない。二〇二二年度春季企画展「近松半二︱奇才の浄瑠璃作者」は、演劇博物館が所蔵する膨大な日本近世演劇資料を利用して、あらためて日本演劇史における近松半二の位置づけを探るものである。
「翼がほしい 羽がほしい 飛んでゆきたい 知らせたい」(「本朝廿四孝」)、「とと様の名は十郎兵衛 かか様はお弓と申します」(「傾城阿波の鳴門」)、「落ち行く先は 九州相良」( 伊賀越道中双六」)などの戦前の日本では誰でも知っていたであろう名セリフを生んだ半二作品の魅力を多角的に提示し、現在ともすれば忘れられているかもしれない日本の物語の源泉の一つを示したい。劇場の常連客は元より、日本の伝統文化に普段馴染みのない方にも楽しめる展示となれば幸いである。