enpaku 早稲田大学演劇博物館

第一章 浄瑠璃作者の系譜

近松半二――奇才の浄瑠璃作者

第1章 浄瑠璃作者の系譜

貞享二(一六八五)年、竹本義太夫(後の筑後掾、一六五一~一七一四)率いる竹本座で初演された近松門左衛門(一六五三~一七二五)作の「出世景清」が、既存の人形浄瑠璃(いわゆる古浄瑠璃)と当代の人形浄瑠璃の分水嶺とされる。爾来三百年以上、義太夫節人形浄瑠璃は幾度もの困難を乗り越えで現在まで命脈をつないできた。人形浄瑠璃が舞台生命を保ち続けた源泉の一つが、その時々の作者達が心血注いで作り上げた戯曲そのものにある。人形浄瑠璃における戯曲の重要性は、語り手たる太夫が語り始めと語り納めの際に、自身の床本(筆写された戯曲テキスト)を礼拝するごとく掲げる行為に象徴されていると言えよう。

この章では、竹本義太夫と提携して義太夫節人形浄瑠璃を確立・大成なさしめた近松門左衛門以下、浄瑠璃作者を中心に近松半二に至る迄の竹本座の流れを追う。また近松半二の江戸時代における評価・言及についても紹介していく。


近松門左衛門の文机(模造)