小説家・村上春樹は、そのキャリアを通じて繰り返し映画に言及してきた。村上の小説では、登場人物たちが映画を見たり会話のなかで作品のタイトルを挙げたりすることを含め、映画が作中で重要な意味を持つことがしばしばある。監督や俳優の名前が出てくることも珍しくなく、映画が村上の小説世界にかなりの頻度で登場してきたことは間違いない。小説だけではなく、エッセイ、紀行文、対談や読者とのメールでも頻繁に話題に上がるように、村上文学の至るところに「映画」の一語を見出すことができる。村上にとって、映画は(おそらく一般に思われているより遥かに)身近なものであり続けてきた。
学生時代の村上は、映画館に足繁く通い、浴びるように映画を見ていたという。しかし、当時の村上と映画の関係はそれだけではない。早稲田大学在学時の村上は、よく演劇博物館の図書室を訪れ、まだ見たことのない映画のシナリオを読んでいた。文字だけのシナリオを読むことを通して、頭の中で映像を生み出し、一つの世界を構築すること。この学生時代の習慣は、作家本人が認めているように、後の小説家としての創作活動に多大な影響を与えたはずだ。言い換えれば、村上の小説世界では、映画的な想像力が大きな場所を占めていると考えることができるのである。
図書室で映画のシナリオを読んでいた学生は、その後世界中に読者を獲得する小説家となり、今ではその小説がしばしば映画化されるようになった。本展では、村上が通っていた映画館や学生時代に読んでいたシナリオ、エッセイや小説のなかに登場する数々の映画、そして小説を映画化した作品、等々に関する数多くの資料を展示する。スチル写真やポスター、台本などの映画関連資料とともに、村上がこれまで見てきた映画をまるで旅の軌跡を辿るかのように振り返る構成となっている。父親に連れられて映画館に行っていた幼少期から始まるその旅は、彼自身の小説が映画化されるようになる現在まで続いている。そのような<映画の旅>を通して、村上文学が喚起するイメージの豊かさを改めて発見していただければ幸いである。