ある文章において村上は、映画を見るという行為がかつては「祝祭的儀式」であったと表現している(『映画をめぐる冒険』3頁)。それは、あらゆる映画鑑賞にあてはまるわけではなく、まだ映画館でしか映画を見ることができない時代の体験と結びついた、暗闇のなかでのみ遂行され得る特別な儀式であった。
本展の第1章では、映画鑑賞がそのような儀式性を保持していた時代、村上が小説家になる以前の映画との関係を振り返る。まずは、村上が生まれ育った阪神間の思い出を取り上げる。幼少期の村上は、父親に連れられて神戸や西宮の映画館に行き、西部劇や戦争映画をよく見ていたという。高校生になってからは、遊びやデートで映画館に通い、ハリウッドの娯楽映画からヨーロッパの芸術映画まで幅広く見ていたとのことである。1968年に早稲田大学に入学し、村上は東京にやってくる。学生運動が盛り上がっていたこの時代はしばしば「政治の季節」と呼ばれることがあるが、村上にとっては同時に「映画の季節」であったといえるだろう。浴びるように映画を見ていた村上は、アメリカン・ニューシネマ、フランスのヌーヴェル・ヴァーグ、あるいは東映の任侠映画や東宝のアクション映画等々の実に多様な映画に出会うことになる。本章では、阪神間、東京で村上が通っていた映画館と、そこで見ていたいくつかの作品を紹介する。
早稲田大学在学中、映画の脚本家を目指していた村上は、演劇博物館でしばしば映画のシナリオを読んでいた。その習慣が村上の小説家としての活動に与えた影響は大きいはずだ。演劇博物館は外国映画のシナリオが収録された映画雑誌や実際に撮影に使用された日本映画の台本を数多く所蔵しているが、それらのなかから村上が読んだものを一部紹介する。