短編「ドライブ・マイ・カー」を映画化した濱口竜介は、あるインタビューで「村上さんの小説で描かれる異世界みたいな部分を映像で再現するのは難しい」と述べ、続けて「それは現実にはないけれど、確かにあるに違いないと思わせる描写のリアリズムが村上さんの文章にはあるからです」と語っている(『BRUTUS』特集 村上春樹 下、73頁)。「単にファンタジー的な要素を映像で足しても、それは自分達の心の中で起きている出来事なのだと確信させる強度のようなものには絶対に至らないでしょうね」と述べられるように、村上の小説に特有の世界観=村上ワールドは、容易に映像化できないのだろう。
それゆえにこそ、村上小説の映画化はさほど多くはない、しかし、『ドライブ・マイ・カー』を含めてその困難を乗り越えようとした映画は、独自の仕方で原作にアプローチを試みた作品ばかりである。1981年に撮られた大森一樹監督の『風の歌を聴け』は、日本アート・シアター・ギルド配給の作品であることからも知られるように、所々に実験的な意匠が施されている。山川直人監督の『パン屋襲撃』と『100%の女の子』は、8ミリ撮影の自主映画らしい自由さと遊び心を十分に備えている。近年では、海外の監督が村上文学を映画化することが増えてきた。映画版『ノルウェイの森』は日本で製作されたが、監督はベトナム出身のトラン・アン・ユンである。アメリカで映画化された『神の子どもたちはみな踊る』も、韓国で撮影された『バーニング 劇場版』も、それぞれの国の風土に合わせた大胆な翻案がなされている。
『ドライブ・マイ・カー』は、カンヌ国際映画祭脚本賞、アカデミー賞国際長編賞を受賞し、世界を驚かせる作品となった。村上文学と映画が出会うことで生じたこのような刺激的な事件は、次にいつ、どこで起こるのだろうか。村上の小説が読まれ続ける限り、その可能性は絶えることはなく、村上と村上作品の「映画の旅」はこの先も続いていくのである。