
建築家で能楽研究家の山崎楽堂(1885~1944)の手による図面。幕府の大棟梁であった甲良家の資料によるものらしく、弘化2年(1845)に再建され、安政6年(1859)に焼失した本丸御殿図の能舞台とされる。楽堂は本名静太郎。東京帝国大学建築科を卒業し、法政大学教授となり、梅若能舞台、細川家能舞台、染井能楽堂の設計にも携わった。
建築家で能楽研究家の山崎楽堂(1885~1944)の手による図面。幕府の大棟梁であった甲良家の資料によるものらしく、弘化2年(1845)に再建され、安政6年(1859)に焼失した本丸御殿図の能舞台とされる。楽堂は本名静太郎。東京帝国大学建築科を卒業し、法政大学教授となり、梅若能舞台、細川家能舞台、染井能楽堂の設計にも携わった。