阿部海太郎氏
阿部 海太郎(あべ・うみたろう)
作曲家。1978年生まれ。『リア王』、『ヘンリー6世』、『シンベリン』、『尺には尺を』などシェイクスピア作品を中心に、蜷川幸雄の劇音楽を数多く手がけた。また、インバル・ピント&アブシャロム・ポラック演出の舞台『100万回生きたねこ』、NHK『日曜美術館』テーマ曲、ドラマ『京都人の密かな愉しみ』、映画『ペンギン・ハイウェイ』等の音楽を担当するなど、幅広い分野で活動している。2019年に楽譜集『阿部海太郎 ピアノ撰集 ―ピアノは静かに、水平線を見つめている―』を刊行。2020年には、6枚目のアルバム『Le plus beau livre du monde 世界で一番美しい本』を発表した。
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2021年6月1日(火)、作曲家の阿部海太郎氏を演劇博物館にお迎えし、2021年度シェイクスピア祭演劇講座「シェイクスピアの音楽をかくこと――蜷川幸雄の現場から」をZoomによるオンラインで開催しました。講師の阿部氏は、テレビ・映画・演奏会など幅広い分野でご活躍されていますが、中でも演劇のお仕事の割合が多くを占めているそうです。
第一部「演劇における音楽とは」
・音楽の役割と、舞台で音楽がなるまでのプロセス
・演出家と作曲家の関係
第二部「蜷川幸雄の現場」
・「蜷川幸雄のシェイクスピア劇」をケーススタディとして
第三部「質疑応答」
阿部海太郎氏
”「今度演劇の音楽をつくるんだよ」と言うと時々誤解されるのですが、必ずしも私自身が舞台上で演奏するわけではありません。生演奏か録音かを問わず、お芝居をしている最中に聞こえてくるものや、劇中歌を作っています。また、演出家が100人いれば、作曲のプロセスは100通りあり、例えば音楽を積極的に演出に取り入れようとする場合もあれば、そうでない場合もあります。ただ、これまでの経験上、全ての演出家において例外のない事実として言えることは、稽古の過程で音楽や、その扱い方を修正・変更していくという事です。これは、「ポストプロダクション」(全ての映像の編集作業が終了した後に音楽が作曲される)と呼ばれる手法で、監督の要請に従って作曲したものがのちに変更されることがない映画の音楽と根本的に異なっています。”
阿部海太郎氏
”一方で、演劇の場合は、第一に俳優と一緒に進める稽古自体がある種のライブであるということと、劇場の物理的なスペース等かなり現実的な問題から、直前まで音楽が修正されるという事があります。例えば、稽古場で稽古をしたのち、劇場に移り舞台稽古が始まると、思ったより転換に時間がかかるという事がよくあり、当初音楽が予定されていなかった所に、新しく音楽を用意しなくてはならなかったりするなどの現実的な変更に対応します。”
阿部海太郎氏
”特に蜷川幸雄さんの場合は、常に「現場主義」でしたので、稽古場で成立していたものが、劇場に移ってからどんでん返しで変更されるという事も多々ありました。このように、現実的な問題で音楽の修正が繰り返されていく点は、オペラ等の音楽が優先される舞台作品とは大きく異なっています。これは演劇の音楽というものの、一見消極的とも思える変更なんですけれども、別の見方をすれば、演劇においては、音楽がより演出に肉化・身体化(incorporate)されているという事ができるのではと思います。”
阿部海太郎氏
”演出家と作曲家の関係は、第一に演出面での、あるいは芸術面での共同作業者ではありますが、このように現場を預かり、滞りなく稽古を進めて行くという立場から、どこか共同体のような、信頼関係も生まれてくる事も確かです。かたや巨匠の蜷川さんと、若輩者の私とでさえ、そうした関係は生まれていたと思います。”
ここでは、蜷川氏の稽古現場で、音楽がいかに修正・変更されていったのかについて具体的な事例を挙げ、ピアノ実演や、作品のDVD上映を交えご紹介いただきました。
蜷川氏との初仕事となる『リア王』(彩の国さいたま芸術劇場、2008年)を受けた時、阿部氏は相当なプレッシャーを感じたそうです。そしてその稽古初日、王の登場シーンで、当初シンフォニー的なファンファーレを用意していた阿部氏は、蜷川さんに「もっと良いのないのか」とその場で色々と求められたもののうまく行かず、一時主演俳優も含めた「音楽待ち」のような状態に陥ったそうですが、蜷川氏は阿部氏に「僕は音楽自体がひとつのパートになって、俳優や美術と一緒にひとつのポリフォニー(polyphony)を作って欲しいと思っているんだ。作曲家には理屈の合わない色々無理な事を言っているかもしれないけれど、それはそんな理由からなんだよ」と話したと言います。蜷川氏のこの言葉をきっかけに、このシーン(舞台の床に土が蒔かれているような状態)においては、音楽的な洗練さよりも、シンプルな太鼓の音が的確だった事に気づき、この経験が「ロジカルに作られているものよりも音色自体に対する興味」「楽器が何であるか」という事にシンプルに集中していくきっかけとなったそうです。そして、この『リア王』で阿部氏は、音楽的な壮大さとは真逆のアプローチを取っていく事になります。
阿部海太郎氏
”今でも重要だと思うのは、どれだけ良い音楽をつくれるかというよりも、どれだけ無心になってつくれるかということ。技術的に優れた曲はもっとあったと思うんですけれど、スタイルや個性のようなものにはすごく敏感で、たちまち見抜かれた訳です。「要らない個性」を指摘するのは、他でもなくシェイクスピアを演出するときにより際立っていたと思います。
例えば『海辺のカフカ』の時は、「海ちゃんらしい綺麗な曲をお願いね」と、わざわざ言われた事もあります。だけど、シェイクスピアだけは、一切の前提をなくすということが求められていたと思います。それは、蜷川幸雄さんという演出家自身が、シェイクスピアを演出するときにそうありたかったのではないか、というのが僕の実感としてあります。”
阿部氏によると蜷川氏には「個性があらかじめ表現されたもの」に対する警戒感があったそうです。「蜷川氏の前では、作曲家も俳優も無心で作品と向き合う中で浮かび上がる生身のリアクションが求められた」とのお話は、阿部氏が考えるシェイクスピア作品の魅力「人間の隠れた本質を浮き彫りにしていく」ということと、蜷川氏の演出論が深く結びつき、大変興味深いものでした。
他にも即興的に作曲を進める難しさ、音色のシンプリシティ(simplicity)と音響効果の密接な関係、三声体和声の活用で生まれる音楽的表情等、とても刺激的なお話が盛り沢山でした。また、「彩の国シェイクスピア・シリーズ」最後の作品となる『終わりよければすべてよし』の埼玉公演が、本イベントの開催直前となる2021年5月29日(土)に無事閉幕されたというタイミングで、同シェイクスピア・シリーズの、蜷川氏が監督された最後期(2008~2016年)の作品に携わった阿部氏のお話を伺う事は、より感慨深いものでした。
阿部氏はこのコロナ禍でご公演等の中止を経験されたそうですが、このコロナ禍が音楽や演劇、舞台芸術についての起源や歴史を見つめ直す機会となったそうです。穏やかなお声で丁寧に語られるお話は、阿部氏の生み出す音楽のように心に響きました。演劇、映画、映像、テレビ、演奏会等で幅広く活動されている阿部氏の益々のご活躍が楽しみです。
2021年度シェイクスピア祭演劇講座
「シェイクスピアの音楽をかくこと――蜷川幸雄の現場から」
|https://enpaku.w.waseda.jp/ex/11786/
イベント当日、演劇博物館ご見学の後に
企画:伊藤愉(明治大学文学部専任講師)、石渕理恵子
レポート:石渕理恵子
運営:安藤弘隆、前田武
運営補佐:小山由美子
広報・WEBレイアウト:木村あゆみ