朗読という表現は、こんなにも豊かなのか――。そう、心底おもわされた舞台だった。
去る12月15日。当館2021年度秋季企画展「新派 SHIMPA――アヴァンギャルド演劇の水脈」の関連公演として「リーディング新派 in エンパク『十三夜』」を開催した。コロナ禍の影響により、当館では対面のイベントを自粛していたが、約1年ぶりにお客様を迎えることが叶った。ありがたいことである。
左から波乃久里子さん、柳田豊さん、伊藤みどりさん、尾瀧一眞さん
2020年以来、配信やオンライン演劇などウェブ上に発信される動画を「観る」機会が増えた。そこには、たしかに新しい表現の萌芽もあった。しかし、パソコンやスマートフォンなどの画面を長時間みていると、いささか目が疲れてしまう……のは、加齢のせいばかりではないような気がする。状況を逆手にとり、視覚性でなく、聴覚性――「聴く」ことに特化したアプローチができないか。そんなふうに考えたのが、本企画の出発点だった。
『十三夜』は、樋口一葉(1872~96)の小説を1929(昭和4)年に久保田万太郎がラジオドラマのために脚色し、1947(昭和22)年9月に三越劇場で万太郎脚色・演出で新派によって劇化初演されたものだ。当時ヒロインのおせきを演じたのが、昭和の名女形、花柳章太郎。爾来、新派の重要なレパートリーとして定着し、初代水谷八重子が自ら選んだ「八重子十種」にも数えられた名作のひとつである。
波乃 久里子さん | 柳田 豊さん | 伊藤 みどりさん |
以下にあらすじを示しておこう。
おせき(波乃久里子)は、その器量を見初められ、原田という官吏の妻に迎えられたものの、夫の仕打ちに耐えかねて離縁を決意、幼子を置いて嫁ぎ先を出る。しかし、実家の父斎藤主計(柳田豊)と母もよ(伊藤みどり)に説得され、涙に暮れながら夫のもとに戻ることに。その帰路、図らずもおせきが乗った人力車の車夫は、幼なじみの録之助(喜多村緑郎)だった。かつておせきに惹かれていた録之助は、彼女の結婚を知り、失恋のために身を持ち崩してしまったが、おせきもまた、録之助に思いを寄せていたのだった。ふたたび交わることのない二人の恋路、それぞれの道を、十三夜の月あかりが照らす――。
「家」に翻弄される男女の恋物語であり、家族劇である。明治時代の話だが、いつの時代にも通じうる普遍性を内包している。今回はこの『十三夜』を、初代八重子の技芸を受け継いだ波乃久里子さんをはじめ、柳田豊さん、伊藤みどりさん、喜多村緑郎さんという当代屈指の配役による「朗読」というかたちで上演した。劇団新派文芸部の齋藤雅文さんが構成・演出を担当し、言葉のひとつひとつを濃やかに織り上げ、邦楽部の堅田喜三代さんによる生の効果音が劇の雰囲気を一層高めていた。
喜多村緑郎さん | 堅田喜三代さん(音調) | 齋藤雅文さん(構成・演出) |
上演時間は50分弱。あたかも十三夜のごとき月に照らされた大隈記念講堂小講堂に集った約130名(感染対策のため通常の約半数の定員)の観客は、静謐かつ豊潤、情感と滋味あふれる声と音の世界に身を浸していた。
新派の名優である初代喜多村緑郎の孫で、新派の演出を数多く手がけた文学座の故戌井市郎は『十三夜』について、こんなふうに記している。
もともとラジオドラマとして脚色された『十三夜』は、この夜、まさに「聴く芝居」としての魅力を十全に発揮していたといっていい。
アフタートークには、波乃久里子さん、喜多村緑郎さん、齋藤雅文さんが登壇(司会・後藤隆基)。久里子さんは、初代八重子が役を演じるうえで凝らした種々の工夫や、弟の十八世中村勘三郎が語ったという新派にかんする逸話を披露。初役で録之助に臨んだ緑郎さんは、新派独特のせりふの扱いや朗読の難しさ、師の二代目市川猿翁がめざしていた芝居づくりの姿勢について語った。久里子さんから「現代の河竹黙阿弥」と賞された齋藤さんは、久保田万太郎と戌井市郎の演出で完成している『十三夜』を継承すること、古典と新作の両輪で舞台をつくっていくことの重要性を指摘していた。くわえて、堅田喜三代さんが飛び入り参加し、格子車(引き戸を開閉する際の音を表現する道具)などを実演しながら解説をくわえ、場を盛り上げた。
後藤隆基(ごとう・りゅうき)
早稲田大学坪内博士記念演劇博物館助教。立教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。専門は近現代日本演劇・文学・文化。著書に『高安月郊研究――明治期京阪演劇の革新者』ほか。演劇博物館オンライン展示「失われた公演――コロナ禍と演劇の記憶/記録」、同2021年度春季企画展「Lost in Pandemic――失われた演劇と新たな表現の地平」の企画構成および関連書籍の編著を担当。
Webページ
https://enpaku.w.waseda.jp/ex/15225/
メインビジュアル