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早稲田大学演劇博物館 イベントレポート

音で聴く、胸躍る冒険活劇的な新派――朗読劇『黒蜥蜴』レポート

 オープニングの音楽(新内多賀太夫作曲)が鳴り響くと、昂揚感に胸が躍る。秋季企画展関連公演の第二弾、朗読劇『黒蜥蜴―演劇博物館特別篇―』(江戸川乱歩原作、齋藤雅文脚色・演出)の幕開きである。


左から河合誠三郎さん、喜多村緑郎さん、河合雪之丞さん、斉藤沙紀さん、河合穗積さん

 乱歩の小説「黒蜥蜴」(1934年初出)は、原作よりも三島由紀夫脚色の戯曲のほうが有名かもしれない。女性プロデューサーの草分け的存在である吉田史子が手がけた1962年の産経ホールでの初演は、初代水谷八重子の黒蜥蜴、芥川比呂志の明智小五郎など、当時としては珍しいジャンルをこえた共演が話題となり、以降、坂東玉三郎や美輪明宏などによって光輝を放ちつづけてきた、絢爛豪華な三島戯曲を代表する一作である。
 三島版のイメージが強固な『黒蜥蜴』といかに対峙しうるのか。2017年6月の三越劇場で初演された新派版『黒蜥蜴』には、ひとつ大きな課題があったといえよう。
 脚色にあたって三島由紀夫は「原作ではごくほのかに扱われている女賊黒蜥蜴と明智小五郎との恋愛を、前景に押し出して、劇の主軸にした」(「「黒蜥蜴」について」初演プログラム)と述べていたが、三島版の上演は、黒蜥蜴というヒロインが焦点化され、明智はやや従属的になりがちな印象がある。その点、新派版では、喜多村緑郎と河合雪之丞に文芸部の齋藤雅文が当て書きをしたことで、明智と黒蜥蜴の関係を軸に据える結構がより鮮明になり、両者が等しく際立つところに特徴があった。また、三島は劇の舞台を昭和30年代の東京に書き替えたが、新派版は原作どおり昭和初期の大阪で、通俗的かつ猥雑な冒険活劇のような生動感をうみだしていた。

喜多村緑郎さん

 初演後、緑郎と雪之丞の自主公演『怪人二十面相~黒蜥蜴二の替わり~』(2018年)を挟んで、「全美版」(2018年)、「緑川夫人編」(2019年)と、さまざまなバリエーションで上演を重ねてきた新派版『黒蜥蜴』が、今回は朗読劇に生まれ変わった。

河合雪之丞さん

 舞台上には、パーティションで仕切られた五脚の椅子。いちばん下手に、講釈師の悟道軒円玉(河合誠三郎)が一人座っている。川口松太郎が私淑したことでも知られる円玉は実在の人物だが、もちろん乱歩の小説には登場しない。明智の友人という設定も作中に鏤められた遊び心の一端で、当然ながらフィクション。この円玉が狂言回しとなって、あらゆる状況を語る大枠に、あたかも劇中劇のごとく『黒蜥蜴』の物語が展開する。宝石商の岩瀬庄兵衛(河合穗積)、娘の早苗(斉藤沙紀)、明智小五郎(喜多村緑郎)、そして緑川夫人(河合雪之丞)が順にあらわれ、劇が駆動していく。なお、明智と黒蜥蜴のほかは初役。

河合誠三郎さん

 第一景は、日比谷のヤマトホテルでの明智と緑川夫人(実は黒蜥蜴)の出会いと早苗誘拐劇の顚末。第二景からは大阪の新世界に移り、通天閣で岩瀬が黒蜥蜴に秘宝「クレオパトラの涙」を渡すが、黒蜥蜴率いる盗賊団、宝石を狙う悪漢たち、明智らが組んずほぐれつの大乱闘に突入する。舞台であれば大立ち回りの賑々しい場面を円玉の語りで見事に描出。なだれ込むように第三景へ。ルナ・パークの片隅での、明智と黒蜥蜴のダイアローグは上演を重ねてきた二人ならでは。情感あふれ、言葉の輪郭が立ったせりふの応酬につれて、舞台上の熱量は高まっていく。
 明智と黒蜥蜴の対決の行方やいかに――と盛り上がりをみせたところで、円玉が「御見物諸兄、刮目して次回をお待ちあれ。「黒蜥蜴演博特別編」の読み切りでございます」と幕を引くのは、まさに講談の趣き。朗読という語りの世界によく似合う趣向であった。

河合穗積さん 斉藤沙紀さん 齋藤雅文さん(脚色・演出)

 およそ1時間弱。全三景の構成は物語全体の前半部。いささか物足りなさを感じる向きもあるやもしれぬが、さて、その「次回」を観る/聴くことはできるのか、とすれば、それはいつ、どこで……? そんな余韻と期待を観客の胸にのこしながら、劇は終わる。
 初演以降、視覚的愉悦に満ちた賑々しさでエンターテインメント性の高い舞台を提供してきた新派版『黒蜥蜴』であるが、朗読劇というかたちを得て、せりふと物語の強度を改めて確認させられた。実際にその舞台を勤めてきた俳優陣の「言葉」に特化した表現、音の世界は、陳腐かつ安易と陳腐かつ安易な表現と承知でいえば、じつにカッコいいのである。機動性が高く、シンプルでありながら奥行きのある朗読劇というパッケージは、種々の空間に対応できる可能性を有しており、これで巡業しては如何、などと勝手な夢想を喚起させてやまない。
 また、耳に愉しい舞台だったことにくわえて、河合雪之丞の衣裳が、坂東玉三郎から贈られた着物で、ご本人了承のもとに今回用いられたというのも、観客にとっては思いがけぬごちそうであった。
 蛇足ながら、新型コロナウイルス感染症の感染拡大が急速に進み、この日の東京都の新規感染者数は過去最大の9,699人を数えた。厳しい状況下ではあったが、検温や消毒等はもちろん、収容人数の制限などの対策をとって無事に本公演が開催できたことを言い添えておく。関係者やご来場くださった方々に深く御礼申し上げる。

【執筆者】
後藤隆基(ごとう・りゅうき)

早稲田大学坪内博士記念演劇博物館助教。立教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。専門は近現代日本演劇・文学・文化。著書に『高安月郊研究――明治期京阪演劇の革新者』ほか。演劇博物館オンライン展示「失われた公演――コロナ禍と演劇の記憶/記録」、同2021年度春季企画展「Lost in Pandemic――失われた演劇と新たな表現の地平」の企画構成および関連書籍の編著を担当。
公演音声配信

展覧会情報

Webページ
https://enpaku.w.waseda.jp/ex/14477/

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