日時:2016年11月30日(水)18:00-(17:30 開場)
会場:早稲田大学大隈記念講堂 小講堂
出演:春風亭正太郎、春風亭昇々、桂宮治、入船亭小辰、柳家緑太 (敬称略)
協力:株式会社オフィスエムズ
助成: 文化庁 地域の核となる美術館・歴史博物館支援事業
「日本演芸若手研精会」は、1979年の国立演芸場開場をきっかけに、稲葉守治氏によって設立された落語会です。若手落語家の育成を目的として、同年7月より国立演芸場で月例公演を開始。その後、オフィスエムズの加藤浩氏へと受け継がれ、2014年には400回記念公演が催されました。現在は、会場を日本橋劇場あるいは日本橋社会教育会館へと移し、公演を続けています。そのスピンオフ企画として、2016年11月30日(水)18時より、大隈記念講堂小講堂において、展覧会「落語とメディア」関連イベント「日本演芸若手研精会in早稲田」を開催しました。
開口一番は、柳家小多けさん。前座とは思えないほどの落ち着きぶりです。朴訥とした口調の中に、ほのかな可笑しみが滲み出る、衒いのない「子ほめ」で、会場をあたためてくれました。
二番手は、柳家緑太さん。学校寄席の話題をマクラに振り、「今日も学校寄席といえば学校寄席なんですが、なんでしょうか、この演りにくさ」と、どっと笑わせて「星野屋」に入りました。お花の色香を匂わすとともに、旦那が吾妻橋から身投げをするくだりでは、「生きる勇気が湧いてきた。お花ガンバ」と女性のしたたかさを強調。お花という人物に生命を吹き込みました。
柳家緑太氏
三番手は、入船亭小辰さん。この人は、噺の本題もうまいが、マクラで共演者をいじるのが、またじつにうまい。昇々・宮治・正太郎の三人を「珍獣・猛獣・カピバラ」と形容し、「人間が出てくるのはここまでです」と客席を沸かせました。演目は「野ざらし」。前半の抑制された口調も、陽気に弾けたサイサイ節も、静動ともに達者。マクラからサゲまで、じつに35分の大熱演でした。
入船亭小辰氏
仲入り前は、春風亭昇々さん。昨今の二ツ目ブームを牽引する狂気のイケメン落語家です。早稲田に入りたかったという話から、電車の中で遭遇した驚くべき子供たちのエピソードをマクラに、「初天神」へ。表情も口ぶりも極端に誇張された金坊が、なぜか生き生きと動きだします。めそめそとぐずりながら、ときに嗚咽さえ漏らして団子をねだる子供の姿が、まるでドキュメンタリーを見ているかのように、凄味をもって聴き手に迫ってきました。
春風亭昇々氏
仲入り休憩をはさんで、膝がわりは桂宮治さん。二ツ目に昇進してたった半年でNHK新人演芸大賞落語部門の大賞を受賞した爆笑派。マクラでは客席をいじり倒し、本題の「壺算」に入ってからも、前に出た演者がやったネタを強引に取り込んでは、「おあと本寸法だからいいんだよ」と言って憚りません。兄貴分が店の者に扮して別の客に火鉢を売りつけたり、サゲに独自の工夫を凝らしたりと、大いに会場を沸かせました。
桂宮治氏
トリは、春風亭正太郎さん。押しに押して、開演からすでに2時間半近くが経過。第一声は「もう疲れたでしょ」。アメリカ大統領選挙から殿様の話、そして「妾馬」へと、とんとんと運んでいく手腕は、さすが「正統派のカピバラ」。正太郎さんの落語の登場人物たちは、どれもみな底ぬけの善人で、粗野な八五郎が発した温かい言葉に、大泣きする三太夫が特に微笑ましく、聴客の心をほっこりとした気持ちで満たしてくれました。
春風亭正太郎氏
若手落語家たちによる、三時間に及ぶノーガードの殴り合い。終演後は演者も聴衆もへとへと。落語の未来は明るいと確信させてくれる会だったのではないでしょうか。
文責:宮 信明(演劇博物館助教) 写真:(C)Arata Mino
春風亭正太郎
1981年、東京生まれ。2006年4月、春風亭正朝に入門。同年11月、前座となる。前座名「正太郎」。2009年11月、二ツ目に昇進。
春風亭昇々
1984年、千葉県生まれ。2007年4月、春風亭昇太に入門。前座名「昇々」。2011年4月、二ツ目に昇進。
桂宮治
1976年、東京生まれ。2008年2月、桂伸治に入門。前座名「宮治」。2012年3月、二ツ目に昇進。
入船亭小辰
1983年、東京生まれ。2008年2月、入船亭扇辰に入門。2008年9月、前座となる。前座名「辰じん」。2012年11月、二ツ目に昇進、「小辰」と改名。
柳家緑太
1984年、大分県生まれ。2009年11月、柳家花緑に入門。2010年5月、前座となる。前座名「緑太」。2014年11月、二ツ目に昇進。