近世演劇の歌舞伎と人形浄瑠璃文楽は、相互に影響しあって成長してきた。三年越しの大当たりとなった近松門左衛門作「国性爺合戦」(正徳五(一七一五)年竹本座初演)の京・大坂・江戸、三ヶ津における歌舞伎化が著名であるが、影響は一方向性ではない。並木宗輔ら作の「仮名手本忠臣蔵」七段目が、初演の前年に上演された歌舞伎「大矢数四十七本」の強い影響下にあることは江戸時代から知られていた。人形浄瑠璃もまた歌舞伎作品を摂取して成長してきたでのである。
近松半二の同時代の歌舞伎作者の内で最も強い影響を与えたのが、並木正三(一七三〇~一七七三)である。並木正三は一時期人形浄瑠璃作者の修行もしており、その人形浄瑠璃仕込みの劇作と舞台機構の革新とで上方歌舞伎に新時代を切り拓いた人物である。半二も正三もお互いにお互いの作を素材としており、またその影響関係まさに渦の如き様相を呈していると言えよう。また、人形浄瑠璃の歌舞伎化である義太夫狂言(院本歌舞伎、丸本歌舞伎)の主要な現行演目の大半が出そろうのも、半二が活躍した明和・安永期である。古典芸能である歌舞伎にとって、義太夫狂言は江戸時代まで伝承をさかのぼれることができるという意味で重要な一分野であると言えよう。本章では、並木正三を中心とする明和・安永期の歌舞伎界の紹介に始まり、半二作品を中心とする義太夫狂言に関する名優所縁の品などを紹介する。