enpaku 早稲田大学演劇博物館

第3章 小説のなかの映画

村上春樹 映画の旅

第3章 小説のなかの映画

   映画は村上の小説世界の風景の一部を形作ってきた。たとえば、デビュー作『風の歌を聴け』において、車が事故にあった後で「鼠」とタバコを吸っている主人公は、唐突に「リチャード・バートンの主演した戦車映画」のことを思い出す。ここでは具体的なタイトルは挙げられていないが、特定の映画作品が言及されることもある。同作の「後日談」では、「僕」が妻とサム・ペキンパーの新作が公開されるたびに映画館へ行く習慣が語られ、『ガルシアの首』と『コンボイ』が『灰とダイヤモンド』や『尼僧ヨアンナ』と並べて挙げられる。現時点の最新作『騎士団長殺し』に至るまで、村上の長編小説において映画作品が言及されなかったことは一度もない。
   本章では、長編小説だけではなく、短編小説にも光を当て、それらの作品に登場する映画を一望する。村上の小説において、映画への言及はどのような意味を担っているのか。この問いに対する決定的な答えが存在するわけではないだろう。しかし、一つ言えることは、映画のタイトルや俳優の名前などが小説に記されるとき、その作品を知っている読者は、それぞれの映画のイメージを想起するということだ。そのとき、小説世界の風景は、それらのタイトルや名前が挙げられない場合と確実に異なるものになるはずだ。『ノルウェイの森』の自然に囲まれた療養施設において『サウンド・オブ・ミュージック』が言及されるとき、アルプスの草原を思い浮かべずにはいられないだろうし、『1Q84』で『華麗なる賭け』のフェイ・ダナウェイの名前が挙げられるとき、(たとえその外見が似ていないと記されていても)青豆と彼女を重ねずにはいられないはずだ。それらの映画のイメージは、私たちの読書経験に確実に影響を与えているのである。
   村上の小説に登場する映画作品の文脈を一つひとつ見ていくことによって、それらが小説の登場人物や物語に対する私たちの理解をどのように深めているか、いかにして小説世界の風景を形作っているかを探っていきたい。


『カサブランカ』パンフレット

  


『リオ・グランデの砦』プレスシート