縦26.2×横17.7cm
はじめ賀太夫を名乗っていた古浄瑠璃太夫・宇治加賀掾は、延宝5年(1677)に受領を許され、加賀掾と改名する。その翌年に出版されたのが、段物集「竹子集」である。浄瑠璃に関する理論や節付解説が示された「竹子集」の序文は、浄瑠璃芸論の嚆矢となった。現存する「竹子集」の多くに加賀掾の自筆署名があり、掲出資料もその例に洩れない。
縦26.2×横17.7cm
はじめ賀太夫を名乗っていた古浄瑠璃太夫・宇治加賀掾は、延宝5年(1677)に受領を許され、加賀掾と改名する。その翌年に出版されたのが、段物集「竹子集」である。浄瑠璃に関する理論や節付解説が示された「竹子集」の序文は、浄瑠璃芸論の嚆矢となった。現存する「竹子集」の多くに加賀掾の自筆署名があり、掲出資料もその例に洩れない。