縦21.9×横19.1cm
天和3年(1683)9月、宇治座初演。義太夫節の創始者・竹本義太夫は、貞享1年(1684)の竹本座旗上げ公演に際し、この作品をそのまま流用した。義太夫がのちに、「世継曽我」への流行歌摂取について、その作者が30年を経ても後悔していたと記した(「鸚鵡ヶ杣」(おうむがそま))ことから、作者署名はないものの、近松門左衛門作であることが確実とされる、最も早い段階での作品である。
縦21.9×横19.1cm
天和3年(1683)9月、宇治座初演。義太夫節の創始者・竹本義太夫は、貞享1年(1684)の竹本座旗上げ公演に際し、この作品をそのまま流用した。義太夫がのちに、「世継曽我」への流行歌摂取について、その作者が30年を経ても後悔していたと記した(「鸚鵡ヶ杣」(おうむがそま))ことから、作者署名はないものの、近松門左衛門作であることが確実とされる、最も早い段階での作品である。