本紙:縦70.0×横67.5cm
明治44年(1911)11月東京歌舞伎座上演時の資料。同年3月、本格的西洋劇場として開場した帝国劇場に対抗すべく、歌舞伎座は外観を純和風に改築し、芝翫改め5世歌右衛門襲名興行で幕をあけた。歌右衛門は持病の鉛毒により立ち居が不自由であったのをおして、お家芸の道成寺を勤めた。押隈は歌右衛門とともに、押戻で共演した7世市川八百蔵(後の7世中車)が並ぶ。賛はそれぞれ自筆で「有かたや寒紅梅に日のぬくみ」、「いかめしく粧ふのみそ鬼やらい」。劇評家として名を馳せた川尻清潭旧蔵品で、現存する押隈のなかでも古い部類に属する。