コロナ禍と舞台芸術をテーマとする企画展「Lost in Pandemic――失われた演劇と新たな表現の地平」が、2021年8月6日に約2か月間の会期を終えた。新型コロナウイルス感染拡大防止のための東京都における緊急事態措置等により、当初予定していた初日の開幕を一度延期したものの、どうにか展示を開けられたこと、大過なく完走できたことに安堵する一方、なぜか、まだこの展示が続いているような感覚を拭えないでいる。
展示風景(会場入り口)
会期終盤から、新型コロナウイルス感染症の感染者数が全国で激増し、緊急事態宣言の対象地域が拡大され、期間も延長されていった。東京都の1日当たりの新規感染者数が5,000人をこえたというニュースを目にしたのは、本展の総括的な意味をもつオンラインシンポジウム「コロナ時代の都市文化と演劇」(8月5日実施)の、開催直前の打ち合わせをしているときだった。とどまることを知らぬ事態の渦中に身を置き、8月6日から半月以上が過ぎてなお、終わったはずの本展の終わりが見えないのである。感染者数だけで状況をはかることは難しい。そう考えながらも、日々更新され続ける数字やニュースを見聞きするたび、この1年半という時間に思いをはせる。私たちの生活を、社会を、心身のありかたを、世界を変えてしまった時間。演劇が――文化・芸術が止まってしまった時間、ふたたび動きだした時間、もう二度と止まらぬようにと祈りのなかで過ごした時間……。
オンライン展示「失われた公演―コロナ禍と演劇の記録/記憶」(2020年10月公開)
2020年2月以降の、コロナ禍の影響で中止あるいは延期を余儀なくされた、演劇の記録や資料をのこし、後世に伝える。そんな目的ではじめた小さな取り組みが、当初は想像もしなかった展開で、オンライン展示「失われた公演――コロナ禍と演劇の記憶/記録」や、今回の企画展「Lost in Pandemic――失われた演劇と新たな表現の地平」、「展示図録」というにはあまりに文字の多い書籍「ロスト・イン・パンデミック」ができあがった。それら3つを成立せしめたのは、苦境に立ち続けている、現場の方々のご理解とご協力にほかならない。幾度も幾度も、こうした文章を書いたり、話をしたりする機会があるたびに、そのことを書き、話してきた。すべてはそれに尽きる。
付け加えるならば、演劇を含む文化・芸術を愛し、あらゆる意味で育み、支えている人たちの思いが、つねに傍らにあった。そんな気がする。
100人以上の演劇関係者の声を集め、「記録集」とも呼ばれる展覧会図録
昨年来、コロナ禍との比較で、約100年前のスペイン風邪流行下の演劇界についてしばしば尋ねられ、調べてみたもののまとまった記録や資料が乏しかったことにも背中を押された(勝手に押された気になっただけだが)。100年後、200年後に同じような事態が世界を襲ったとき、2020年という時間を参照しうる記録が編まれるべきだろう。それを、演劇専門総合博物館を謳う当館がやらずして、誰がやるのか。リアルタイムで進行中の事象をミュージアムでとりあげることは、迷いや逡巡と絶えず隣り合わせだったが、私たちも共に闘い、支え合うという、演劇界に向けた、せめてものエールでもあった。いささか大仰で不遜かもしれないが、今もその思いは変わらない。
この文章を書いている8月24日。博多座の『レ・ミゼラブル』や、明治座の『エニシング・ゴーズ』(※8月25日には御園座公演の全公演中止が発表)の公演中止が報じられたばかりである。すでに規模の小さな公演で中止や延期を決断したものは数知れない。世界のフェーズが更新されていくなかで、制作現場の苦難は想像に余りある。むろん、ことは演劇に限った話ではない。
展示風景(マスク、社会的距離)
私は、本展を「日常化した非日常を漂流しながら、再生への時間を待ち続けるための里程標」と位置づけていた。ひとつの里程標は、次の里程標を必要とするだろう。いまこの瞬間も紡がれていく未来への糸をたぐり、思考を止めぬ方途を探さねばならない。
展示風景(失われた公演)
後藤隆基(ごとう・りゅうき)
早稲田大学坪内博士記念演劇博物館助教。立教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。専門は近現代日本演劇・文学・文化。著書に『高安月郊研究――明治期京阪演劇の革新者』ほか。演劇博物館オンライン展示「失われた公演――コロナ禍と演劇の記憶/記録」、同2021年度春季企画展「Lost in Pandemic――失われた演劇と新たな表現の地平」の企画構成および関連書籍の編著を担当。
Webページ
https://enpaku.w.waseda.jp/ex/11841/
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