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2022年度シェイクスピア祭演劇講座「カイロスの夢―『マクベス』の時間観」レポート


由井哲哉先生
フェリス女学院大学文学部教授。東京大学大学院人文科学研究科英語英文学専攻修士課程修了。専門はシェイクスピアを中心とした初期近代イギリス演劇。代表的な論文に「過渡期の閃光――ジョン・リリーの宮廷喜劇」(玉泉八州男編『エリザベス朝演劇の誕生』水声社、1997)、「継承と成功の破綻̶『マクベス』試論」(高橋康也編『逸脱の系譜』研究社、1999)、「Robert Greeneの修辞学̶The Card of Fancyにおける<遅延は危険>の意味」(Shakespeare News、2008)など。

 2022年5月20日(金)、フェリス女学院大学教授の由井哲哉先生を講師にお迎えし、2022年度シェイクスピア祭演劇講座「カイロスの夢―『マクベス』の時間観」を小野記念講堂で開催しました。対面での本講座実施は実に2年ぶりです。

 前半90分のご講演の後、4本の『マクベス』の映像からTomorrow Speechの箇所を上映、報告者も交え各映像について語り合う時間となりました。

 今回のテーマは『マクベス』における「時間」。由井先生は『マクベス』は時間の意識に満ちた芝居と語ります。この劇は、“when”という「時」に関する魔女の問いかけ(“When shall we three meet again?”)で始まるのです。由井先生は、「明日、また明日」という第5幕のTomorrow Speechで頂点に達する時間のテーマの芽がすでに冒頭の一行目から表れている、と指摘します。冒頭では、以下の3つの時間観について解説がありました。

1.Chronosクロノス=日常(瞬間)の時間。不可逆性。過去から未来への直線的イメージ。
2.Kairos カイロス=主観的時間、始まりと終わりを持つ時間。未来の一点を規定。
3.Aion アイオーン=永遠の時間/無時間。

 由井先生によると、『マクベス』には「3」という数字へのこだわりも見受けられます。例えば、魔女の数やその登場頻度、バンクォーを狙う暗殺者の数、マクベスが犯す大罪の数など、全て3つです。この「3」という数字が現在・過去・未来という3つの時間観とも結びついている、という由井先生のお話から、『マクベス』が時間に取り憑かれた芝居であり、「現在」であっても「過去・現在・未来」という3つの時間観が交錯する形で作品の底流を支配していることが明らかになりました。

 更に、『マクベス』を貫くsuccession(継承)のテーマ、それと関連したblood(血筋・血統)、issue(子孫)の問題も取り上げられました。魔女の予言によって国王になるという未来の一点を決めてから、マクベス夫妻の頭の中では「現在」と「未来」が交錯し始めます。ダンカン王殺害後の門番によるノックの音が、一時的に静止したアイオーンの時間から日常のクロノスの時間を回復する役割を担っているなど、シェイクスピアが仕掛ける時間の操作が、由井先生によって鮮やかに読み解かれていきました。

 『マクベス』後半に頻出する “till/until”の分析も刺激的でした。由井先生は「自然に流れる時間と自らが歪めてしまった時間の落差にしっぺ返しを食う主人公の没落の過程が、“till”, “yet”, “now” といった平凡な言葉で鮮やかに示されている」と語ります。「国王になる」という魔女の予言に乗って、未来の一点を規定することでマクベスは自然の時間(クロノス)を自ら歪めてしまい、堰き止められた現在の時間がマクベスの現実に流れ込み、彼の生活が狂わされていきます。由井先生によると、マクベスはその加速していく時間を食い止めるべく「楔(くさび)」として“till”によって未来の一点を何度も再設定すると同時に、「バーナムの森がダンシネーンに近づくまでは大丈夫」と不都合なことが起こるのは“yet”(まだ)先という意識にすがろうとします。しかし、現在の時間である「今」を仲立ちに「まで」と「まだ」が結びついてマクベスの破滅に繋がってしまうのです。

 由井先生は、シェイクスピアが用いる「時間」に関する語彙を駆使しながら、マクベスの破滅への道を分析していきます。マクベスは「時」に操作を加え、時期を外して(untimelyに)ダンカン王を切り裂いた(ripped)のですが、皮肉にも帝王切開(Caesarean section)で生まれた(untimely ripped)のマクダフに倒されるのです。マクベスが以下の名台詞Tomorrow Speechを語るのはその直前、「王になる」という野心のもとで共犯関係にあったマクベス夫人の死の知らせを聞いた直後です。

   She should have died hereafter:
   There would have been a time for such a word. --
   To-morrow, and to-morrow, and to-morrow,
   Creeps in this petty pace from day to day,
   To the last syllable of recorded time;
   And all our yesterdays have lighted fools
   The way to dusty death. Out, out, brief candle!
   Life’s but a walking shadow, a poor player
   That struts and frets his hour upon the stage,
   And then is heard no more: it is a tale
   Told by an idiot, full of sound and fury,
   Signifying nothing. (Macbeth, 5.5.19-28)


 由井先生は、この名台詞を以下のように分析されます。

・to-morrowとハイフン付きの場合、「朝に向かって」という意味になり、自分が‘a poor player’(大根役者)であること、自分の人生は“all our yesterdays”という過去の集積が未来というスクリーンに映写された影にすぎないことを認識せざるを得ない場面。

・brief candle=蠟燭の丈が短い/ マクベスの生の残り時間が短いが、跡を嗣ぐ者はおらず、短い蠟燭が消えれば、彼の短い人生の出場も終わる。

・終わってみればそれは「白痴」の戯言にすぎない。消える前に火の勢いが強まる(sound and fury)蠟燭のように燃えては、「何の意味もない(signifying nothing)」死へと向かうと同時に無時間(nothing) へ自分を解き放つことが自分にとって最後の意味を持つと認識する。

・クロノスの破壊作用にも抵抗できないとすれば、もはや永遠のアイオーンの時間を希求するしかマクベスに残された道はない。

・Macbethは己の名前の中に含まれる息子(Mac=son)が陽の目(sun)を見ない、つまり「息子の死(Macbeth/ death)」たる血筋断絶への強迫観念に苛まれる。

・そのようなクノロスの時間の破壊作用に消極的な形でしか抵抗できない。

・マクベスにとって、実はクロノスの時間こそが最も手強いと感じられる。同時にアイオーンという無時間の世界を希求せざるを得なかった。

・その諦観の気持がTomorrow speechにこめられているのではないか。

 以上の由井先生のご講演を踏まえ、報告者も交えた後半で、RSC版(2001)、Globe版(2014)、BBC版(1983)、彩の国シェイクスピア・シリーズ版(2002)の『マクベス』におけるTomorrow Speech部分を上映しました。その中で着目したのは、Tomorrow Speechの最後、“Signifying nothing”という台詞の後ろに空白(沈黙)が残されている点です。この「沈黙」の描き方が映像ごとに違うことから、さまざまな演出の可能性とその面白さも聴衆の方々と共有できました。「シェイクスピアや演劇のことを考えられる時間が幸せ」と語る由井先生のご講演からは、ご研究に対する情熱がひしひしと感じられました。聴衆の皆さんからも大きな拍手と好意的なコメントが寄せられました。由井先生の優しいお声で語られた『マクベス』の時間論。専門的なお話を伺うことで知的好奇心が満たされる充実した「時間」となりました。


左から、石渕理恵子助教(早稲田大学演劇博物館)、冬木ひろみ先生(早稲田大学文学学術院)
由井哲哉先生(フェリス女学院大学文学部)、岡室美奈子館長(早稲田大学演劇博物館)

【執筆者】
石渕理恵子(いしぶち・りえこ)

早稲田大学演劇博物館助教。東京女子大学大学院人間科学研究科人間文化科学専攻博士後期課程修了。専門は、英国ルネサンス期文学・文化。主論考は「『ユーレイニア』と『ヴォルポーネ』における「話す行為」:異文化の出会いとジェンダーの観点から」(『緑の信管と緑の庭園―岩永弘人先生退職記念論集』、音羽書房鶴見書店、2021年)所収)、‘Passions, Authorship and Gender in Early Modern Women Writers Focusing on Mary Sidney Wroth’(2020年)。共編書に『シェイクスピア・プリズム―英国ルネサンスから現代へ』(金星堂、2013年)。日本英文学会、日本シェイクスピア協会各会員。