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イベントレポート

2023年度シェイクスピア祭演劇講座 イベントレポート

「『冬物語』の物語/騙り ─シェイクスピア晩年の劇をどう読むか─」レポート

2023年度シェイクスピア祭演劇講座
井出 新(いで・あらた)先生
慶應義塾大学文学部・英米文学専攻・教授。日本シェイクスピア協会元会長。専門は初期近代イギリス文学・演劇。特に宗教、出版・手稿文化、民衆文化。最新の著書に『大修館シェイクスピア双書・冬物語』(大修館書店、2023)、Localizing Christopher Marlowe: His Life, Plays and Mythology, 1575-1593 (D. S. Brewer, 2023)、『シェイクスピア、それが問題だ!−シェイクスピアを楽しみ尽くすための百問百答』(大修館書店、2023)等がある。最新の論考には「'Studie to inuent new sects of singularitie' –– 1590年前後のピューリタン構築に関する一考察」 Shakespeare Journal, Vol.8(日本シェイクスピア協会編、2022)、The Cambridge Guide to the World of Shakespeare(共著、Cambridge University Press, 2016)、“Corpus Christi College, Cambridge in 1577: Reading the Social Space in Sir Nicholas Bacon’s College Plan”, Transactions of Cambridge Bibliographical Society, XV.2 (2015), pp. 279-328等がある。

 2023年5月19日(金)、井出新先生(慶應義塾大学教授)を講師にお迎えし、シェイクスピア祭演劇講座「『冬物語』の物語/騙り─シェイクスピア晩年の劇をどう読むか─」を開催しました。ご講演では、宗教と演劇の関係に注目しながら、シェイクスピアが晩年にそれまでの作品群と異なるロマンス劇を創作したのはなぜか?という問いに始まり、おとぎ話的な位置付けとしての『冬物語』とリアリズムとの奇妙な融合や、シェイクスピアが『冬物語』で初めて用いた語り/騙りの手法、最後に王妃ハーマイオニの彫像が動き出すシーン等についてお話しいただきました。

 井出先生が着目された『冬物語』の独自性は2点ありました。1つは、夫のボヘミア王レオンティーズから不貞を疑われたハーマイオニの遺体が礼拝堂(chapel)に安置されている点、もう1つは、侍女ポーライナの自宅に置かれたハーマイオニの彫像を見る人たちの信じる力(faith)によって彼女が生き返る(ように見える)点です。このシーンは『冬物語』の材源にはありません。シェイクスピアがこの「甦りの驚異」を描くために準備した伏線となる台詞は、彼女の聖なる霊が亡骸を再び所有(“possess one’s body”)してこの世に再び現れるという一文です。“corpse”には亡骸のみならず生きている体(“living body”)の意味を込めていることや、当時の観客には体の甦りにまつわるキリスト教の信仰を想起させたであろう点についても解説いただきました。

井出新先生(慶應義塾大学教授)

 『冬物語』の中では、ハーマイオニの彫像はイタリアの彫像家ジュリオ・ロマーノの手によると言及されます。同時代の人物(史実では画家)についていきなり言及することで、観客が生きていたプロテスタント・イングランドの現実世界に近づいてしまいます。井出先生のお話から、17世紀イングランドで彫像は偶像礼拝の罪を想起させる危険なものだと認識されていたため、彫像を蝶番にしておとぎ話の世界とリアルな世界が近接してしまうことは、シェイクスピアにとって厄介なことだと分かります。しかし、井出先生は、シェイクスピアは宗教的検閲に引っかかる危険を犯しても、彫像の場面にリアルな宗教性・儀式性を持たせていることを指摘されました。その上で、侍女ポーライナが観客に求めるのは、演劇に力によって彫像が生身のハーマイオニになることを信じることなのです。

井出新先生(慶應義塾大学教授)

 井出先生は、演劇の力の源は、虚構性を意識しながら自らそれに騙されていくとき、理性と感情において体験するリアルが存在することと力強く語られました。信じる力という点で、演劇の心的態度とキリスト教が復活信仰の中核に持っているものと重なり、それが『冬物語』の儀式性や宗教性に貢献しているということです。ハーマイオニが甦ったのかについて、キリスト教的ファンタジーとして明確に描く訳ではなく、甦りのシナリオを作って最後に少し煙に巻くのがシェイクスピアの手法です。シェイクスピアが生きた時代は劇場に厄介な批判をもたらした時代であり、井出先生は、あえて不可解な結末にすることで危険な宗教性を孕む可能性をなくし、自分自身、劇団が宗教的、政治的窮地に陥らないように逃げ道を最後に残していたとも指摘されました。この物語/騙りに自らを委ねようとする観客は、彫像の場面にキリスト教的な死者の復活を見出し、時を超えた和解と赦しを見出すかもしれません。私たちが信じる意志を持って物語を受け入れていく時、理性と感情において体験するリアルがある、それは死によって分たれた親しい友人や家族が、再会や和解を果たす時の人間の本質的な感情です。そうしたリアルを体験させてくれる『冬物語』の楽しさを情熱的に語っていただきました。

落語や歌謡曲にまつわるエピソードも挟みながら、熱く巧みな語りにより、演劇の力を再確認した心動かされる時間でした。井出先生は、2023年8月に出版された大修館シェイクスピア双書第2集『冬物語』の編註者でもいらっしゃいます。今回のご講演をきっかけにより深く『冬物語』について学びたい方におすすめの一冊です。


左から、児玉竜一館長(早稲田大学演劇博物館)、井出 新先生(慶應義塾大学文学部・英米文学専攻・教授)、石渕理恵子助教(早稲田大学演劇博物館)

【執筆者】
石渕理恵子(いしぶち・りえこ)

早稲田大学演劇博物館助教。東京女子大学大学院人間科学研究科人間文化科学専攻博士後期課程修了。専門は、英国ルネサンス期文学・文化。主論考は「『ユーレイニア』と『ヴォルポーネ』における「話す行為」:異文化の出会いとジェンダーの観点から」(『緑の信管と緑の庭園―岩永弘人先生退職記念論集』、音羽書房鶴見書店、2021年)所収)、‘Passions, Authorship and Gender in Early Modern Women Writers Focusing on Mary Sidney Wroth’(2020年)。共編書に『シェイクスピア・プリズム―英国ルネサンスから現代へ』(金星堂、2013年)。日本英文学会、日本シェイクスピア協会各会員。