縦27.0×横20.0cm
金平浄瑠璃は、満仲・頼光に仕え、四天王と呼ばれた家臣たちの架空の子息を「子四天王」とし、中でも金太郎の昔話で知られる坂田金時の子・金平を中心に、その荒唐無稽ともいえる武勇を描き、17世紀中葉の浄瑠璃界で流行をみた。「にしきと合戦」には掲出の万治3年(1660)本以前に、承応4年(1655)の刊記をもつ版本があり、江戸における広義の金平浄瑠璃発生時期の上限を示す、重要な作品である。掲出写真は演劇博物館所蔵「許多脚色帖」に貼り込まれた挿絵部分。豪快な画風は、金平浄瑠璃正本の特徴でもあった。