横50.0×奥行31.3×高48.0cm
豊竹山城少掾引退興行の千秋楽当日に、演劇博物館に寄贈された資料。山城少掾の浄瑠璃本文解釈に基づく理知的な芸風は、これ以降の義太夫節の主流となってゆく。白色顔料を使用した特殊な色蒔絵で彩られた見台は、女義太夫(娘義太夫)で一世を風靡した豊竹呂昇旧蔵で、山城少掾は戦後にこれを買い入れて愛用し、昭和34年(1959)2月、新橋演舞場での引退興行の際もこの見台で語っている。
横50.0×奥行31.3×高48.0cm
豊竹山城少掾引退興行の千秋楽当日に、演劇博物館に寄贈された資料。山城少掾の浄瑠璃本文解釈に基づく理知的な芸風は、これ以降の義太夫節の主流となってゆく。白色顔料を使用した特殊な色蒔絵で彩られた見台は、女義太夫(娘義太夫)で一世を風靡した豊竹呂昇旧蔵で、山城少掾は戦後にこれを買い入れて愛用し、昭和34年(1959)2月、新橋演舞場での引退興行の際もこの見台で語っている。