縦152.3×横137.6cm
昭和11年(1936)、人形遣いの吉田文五郎と紋十郎が、その支援者であった寄贈者の新築祝いとして贈ったもの。こうした寄せ書屏風は、支援者の慶事に贈られることがあったらしい。しかし、この寄せ書が寄贈者へ贈呈される際には、紋下譲渡問題もからみ、当時激しく芸を競い合っていた竹本津太夫と豊竹古靱太夫(山城少掾)が、同一面に署名したのはこれが唯一である旨の口上が添えられたという。
縦152.3×横137.6cm
昭和11年(1936)、人形遣いの吉田文五郎と紋十郎が、その支援者であった寄贈者の新築祝いとして贈ったもの。こうした寄せ書屏風は、支援者の慶事に贈られることがあったらしい。しかし、この寄せ書が寄贈者へ贈呈される際には、紋下譲渡問題もからみ、当時激しく芸を競い合っていた竹本津太夫と豊竹古靱太夫(山城少掾)が、同一面に署名したのはこれが唯一である旨の口上が添えられたという。