

縦35.5×横12.3cm
1948年6月、松竹株式会社の経営下にあり、労働条件をめぐって紛糾していた文楽座は、ついに組合派(三和会)と松竹派(因会)とに分裂した。掲出の小割帳とは、三人遣いである人形浄瑠璃文楽で、興行にあたり、人形ごとの役割分担(主遣い・左遣い・足遣い)を書き示したもの。三和会には人形遣いが少なく(当初11人)、掲出資料からは、たいへん厳しい分担状況であったことが見て取れる。
縦35.5×横12.3cm
1948年6月、松竹株式会社の経営下にあり、労働条件をめぐって紛糾していた文楽座は、ついに組合派(三和会)と松竹派(因会)とに分裂した。掲出の小割帳とは、三人遣いである人形浄瑠璃文楽で、興行にあたり、人形ごとの役割分担(主遣い・左遣い・足遣い)を書き示したもの。三和会には人形遣いが少なく(当初11人)、掲出資料からは、たいへん厳しい分担状況であったことが見て取れる。