全長100.0cm
江戸の説経が衰退した後、「おぐり」や「さんせう太夫」などの説経のレパートリーは、薩摩若太夫創案の説経祭文(せっきょうさいもん)として再び人形と結びつき、幕末にかけて行われた。本図は、明治末年から活躍し、説経祭文に独自の工夫を加えて若松派を興した、初代若松若太夫(武蔵大掾)に後援者が贈った三味線。若松派の他、従来の薩摩派の説経も健在であり、多摩・秩父などの各地で、今日も説経祭文の伝承は続いている。
全長100.0cm
江戸の説経が衰退した後、「おぐり」や「さんせう太夫」などの説経のレパートリーは、薩摩若太夫創案の説経祭文(せっきょうさいもん)として再び人形と結びつき、幕末にかけて行われた。本図は、明治末年から活躍し、説経祭文に独自の工夫を加えて若松派を興した、初代若松若太夫(武蔵大掾)に後援者が贈った三味線。若松派の他、従来の薩摩派の説経も健在であり、多摩・秩父などの各地で、今日も説経祭文の伝承は続いている。